プログラマーになりたい。

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匂いの変化を凌駕する「映像のクオリティと物語のスケール」

なんと「正当派熱血アニメの匂い」らしい。
なにがって、例の新ヱヴァが。
Hashさんのレビューをさっき読んで知った。
http://d.hatena.ne.jp/Hash/20090705/1246815404


個人的には、どう考えても異常事態。これは、フラグってる。
「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ…」=「逃げたい逃げたい逃げたい…」だったあのエヴァだもの。


もとの作品の圧倒的クオリティーがなかったら、ちょっと信じられないだろう。
そして圧倒的だったからこそ、怖くて観たくない。ちょっと「正当派熱血アニメの匂いのするエヴァ」というのは字面だけで抵抗がある。
しかし圧倒的だったからこそ、気になってしょうがない。
落ち着かない気分である。


ぼくは当時、とても圧倒された。圧倒されたじぶんの一部を、落っことしたまま回収していないのかもしれないという気がしてきた。だとしたら回収しないといけない。


いきなり話が逸れますが。
TV放映が終わった年だったか。だとすると小学校6年の夏休みのこと。
自転車にのっていて、怪我をしたことがあった。
町田市鶴間*1にあった自宅から江ノ島海岸へ、川ぞいを往復し、あと少しで家というところで砂利に車輪をとられ転倒した。


短パンのひざを砂利道について、食い込んだ小石でぱっくり切れた。
皮下脂肪の白いこと、じわっと広がる恐怖と血。*2
そのときに、なぜかとっさに「逃げちゃダメだ」が思い浮かんだ。


小学校6年生にして「っていうか、怖くても逃げられないじゃん」と内心思ったものである。*3


いま書いていてまたこの怪我を思い出したのだけど。それで、ふと、ぼくのなかで、エヴァというのは強烈な「甘え」の象徴になっているのではないかと思った。「逃げる」ことが「甘え」なのではなく、むしろ積極的には何も選びきれていないことを「甘え」だと考えるなら。


しかし今度のヱヴァでは、(Hashさんの文章、勝手に箇条書きにしてしまいますが)

  • シンジが、自ら誰かを助けたいと強く願う。
  • プライドの固まりで孤独に生きていたアスカは、突っ張りつつも自己犠牲的に行動するようになり、最近人と居ることが楽しい、と語る。
  • 何も望まず人形のように生きていたレイが、碇親子を仲良くするためにパーティーを企画する

という、二次創作小説ばりの展開を見せる。

新しいヱヴァは「正当派熱血アニメ」の匂いがする。一昨日、日本酒をカパカパやりながら、来年からの同僚である"第三の内定者" K氏は『破』をそう評した

想像できない!
というか無理に想像してみようとすると、途中で「それは“エヴァ”なのか…!?」という気分になってストップがかかってしまう。いかに「エヴァ」に対する固定観念が強いか、じぶんでも驚いたけど。


しかし「ヱヴァ」は、その「匂い」の変化をものともしないような「映像のクオリティと物語のスケール」を持つのだという。
じつは「序」の話を聞いても興味がまったくわかなかったので観てないんですが、これを読んで初めて観る気になった。


やはり、まずは「序」を入手しなければならない。

*1:おおむね東工大のすずかけ台キャンパスあたり

*2:おかげでエヴァと聞くと、いまだに「ひざから、血がだらり」を連想してしまう。

*3:そのくせ、いまだに逃げようとしている気がしないでもない。本当にどうしようもない。

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