新ヱヴァ、情報が着々とふえてきてますね。ぼくの観察できる範囲なんて、フィードリーダで購読しているブログと、フォローしている1000人強のtwitter-ersくらいですが。それでも相当な話題になっているようです。
おかげさまで「wye=ヱ」という旧かなの打ち方をすっかり憶えてしまいました。
id:Hashのエントリを読んできのうのエントリを書いたモチベーションは、
という疑問をもったからでした。
この疑問のせいで「落ち着かない」「これは、観ないと」とか書いたばかりなわけですが。なんと、さっそくヒントの片鱗が。さすが話題作。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20090705/1246763356
終わってみると、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」は、真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターが狂言回しになっていたことに気づかされる。彼女というフレームを通して、観客は——ぼくは、「エヴァンゲリオン」ではない、「ヱヴァンゲリヲン」という、新しい物語と出会うことになったのだ。
つまり「ヱヴァンゲリヲン」とは「エヴァンゲリオン」という物語を、真希波・マリ・イラストリアスというキャラクターの目を通して再構築した、語り直された口承文学だ。
つまり鑑賞者の眼だったのか。
視点を設定しなおすことで、ちがう形で世界を見せる。そのために必要とされた「真希波・マリ・イラストリアス」であるという考え方。もちろん、そのためだけに設定されたというと、ちょっとかわいそうですし、それはないと思うんだけど。
ちなみに作品の印象についてHashが「正当派熱血アニメの匂い」と書いていたのに対し、aurelianoはと「かなり切ない作品」と評している。
それはまるで、夕陽のようである。夕陽を背景に、鳥が羽ばたくようなものだ。劇中に、真希波・マリ・イラストリアスが夕陽を背にに羽ばたく鳥を見上げるシーンがあるのだけれど、それがまさに、この映画を象徴しているように思った。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」は、夕陽を背景に鳥が羽ばたくような、切なく、またもの悲しい、胸を締めつけられる物語だった。
感想を一言で言うなら「切ない」だ。これはかなり切ない作品だ。ぼくは臓腑をえぐられた。観劇中、胸が詰まってちょっと苦しくなった。
これは視点のちがいだろう。
aurelianoは旧エヴァについても「女性たちとのコミュニケーションの物語」としての視点を持ってみているし、今作では「真希波・マリ・イラストリアスという(略)フレームを通して、観客は——ぼくは、「エヴァンゲリオン」ではない、「ヱヴァンゲリヲン」という、新しい物語と出会うことになった」と書いている。
「新世紀エヴァンゲリオン」は、シンジを取り巻くさまざまなタイプの女性たちとのコミュニケーションの物語でもあったのだけれど、そこには本当に色んなタイプのある種の象徴的な女性たちが出てきていた
それにしてもaurelianoは好きになっちゃったんですね。単純に文章の量からいっても。ええ、あのですね「もう少し真希波・マリ・イラストリアスの話をすると」センテンスを読んで、まだやるか!と思ってにやっとしました。愛にあふれてます。
愛で思い出したけど、これいいです。以前たまたまみつけて読んだんですが、庵野監督がこんなにかわいく描かれてる!と感動しました。
- 作者: 安野モヨコ
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2005/02/08
- メディア: コミック
- 購入: 7人 クリック: 370回
- この商品を含むブログ (727件) を見る