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「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」

 先日、読書会のメンツで東京国立近代美術館(北の丸公園)に行ってきました。現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションよりを見ました。

 それなりに印象に残った作品もあっはずなのですがあまり思い出せなくて、全体としての印象を述べますと「いつも思うのですが、今回も「すごいけどこれがなぜ数十億円もするのか」って思いました。美術は本当にわかりません。」という感じになってしまいました。
 風流を解さないって感じがして、こう言うのはいやなんですが、僕、昔から芸術はよくわからないのです。これでも、小学生のころに3年間ほど美術教室にも通ったし、中学の美術は先生ウケだって悪くはなかったんだけど……。
 それと、いつもはこんな無粋なことを美術館帰りに言いません。僕にもその程度の知恵はあって、他の状況なら「うん、そうだねー。すごかったねー」もありだろうと思っています。ただ今回は読書会がからんでしまったので、やむをえず「わっかんなーい」って白状した次第です。分からないのに分かったふりをして議論をするのは、僕には無理だなと思いまして。

 ちなみに、文学や音楽ならもう少しマシなんですけどね。あるいは同じ「絵」でもイラストレーションとかマンガだとわりと露骨に好き嫌いというものがある。でも、ジャズやクラシック音楽も、実際、なんか違いがよくわからないのが多いし、なんというか、ポップなものしか分からないってことなのかもしれないですね。
 そういえば、そういうわけだから例外的にアンディ・ウォーホールはおしゃれには見えるんだけど、それだけではあの値段は説明できません。
 そして、たぶん一番印象に残っている展示物は「ウォーホル」と書いてある札でした。「ウォーホール」と覚えていた作家が「ウォーホル」って書いてあって、「さいきんはこう書くのかー」とか思ったのが印象に残っています。これ以外忘れてるって、いかにも駄目な感じ。

 ミーティングでも(コミュニケーション手段として)言語を特別視しないほうがいいって言われた記憶があるんだけど、むべなるかなって感じ。だって僕自身が言語(ロジック)以外解さないんですもの。

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