だまんです。

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どんな顔して触れたらいいんだ

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桜庭一樹『荒野』を読んだ。

荒野

荒野

「荒野」という少女の、12歳から16歳までの変化を描いた物語。「少女」なんて、たぶん、おれにとっては一生一番遠い人種だろう。ここまできたらもう一生、未知のままなんじゃないかと思う。だいたい、そんなん、どんな顔して触れたらいいんだ、と。いまだにわからないです。少女が少女らしかったころの描写ほど、そういう風に感じる。


つうか、こういう顔して読むしかないんだけど。
で、鎌倉の鬱蒼とした緑や街の、ちょっとひょうきんな描写をみて、へぇなんて思って油断してると、ところどころ、エロ以前の生き物の匂いが、ぷん、と漂ってびっくりさせられた。「大人」が考えればそれらは性とつながるものなんだけどさ、「大人、以前。」の当事者は、知識はあるのに結びつかなくて、なんだかわかってなかったりする。「めがねめがね…(眼鏡は目の上にのってるのに…)」みたいな。
さらには、知らないんじゃなければ際どすぎていえないようなことも、うっかりいったり考えていたりして、ひやっとする。あやうい。成長過程にだけあるアンバランスさなのかな。その視点から見た大人の姿は、理解していないからこそストレートにどろどろが伝わったりする。桜庭一樹って、そういう描き方が、なんだか本当に魅せられるほど上手い。


で、こちらとしては、やっぱりどういう顔して読んだらいいんだと、思って悩んでしまう。その視線に、たじろぐ。


実際に「少女」というような人々が同世代だったころ。中学生のころなんて。「女子」とかいって固まりでみたり、逆に性別抜きの個人としてしかみてなかったり。
つまり、彼女たちが成長していくという興味深い過程にあるとき、こっちはひたすら自分を守ることにバカみたいに必死で、それどろこじゃなかった。
だから、女の子なんて出会い頭に「ん?」って顔をして見られると、ひやっとして「わ、下に見られるのはやだ!」と思って、とっさに大人ぶったりするんだけど、でも、そんなことやってる間に、向こうは興味が削がれて、さっさと次へ行ってる、そんな感じだった。その程度の関わりかただった。
なんか、マジックハンドで重機を操作しておそるおそるクレーンの先を近づけて、でも触んない。みたいな接点しかなかったんだな(比喩としてどうなんだこれは)。ガキだ。
もしかしたらおれの知り合いのなかでもこんな感じにぐるぐるどろどろしたものを抱えて、大人になった人がいたのかもしれないんだ…。あーあ、ちょっと、もったいなかったな。


素手で触ったって怪我するもんじゃないのに。それに、どういう顔してなんて考える前に、そもそもこういう顔しかないじゃんか。と、いまさら気づいたりした。そう、いまさら。
で、ああ、おれぜんぜん成長してないな、と思った。


最後に、荒野はもうその季節が過ぎて、自分は「おんな」なんだと気づくのだけど。主人公の実感の違いは、間接的にもみえる。たとえば、はじまりの方を思い出してみると、周囲の人々の様子が違ってる。これは、周囲の人々が変化したわけじゃなくて、人々の態度と、それを見る主人公の目が変化したんだ、と。そういうところにもグラデーションが付いている。
そういえば、終盤の荒野の延長線上にある女の子なら結構知っている。女のガキも知ってるけど。だとすると、やっぱり何か見逃したんだと思う。謎。

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