思いついたときには既にある
以前、テルミンを自作しようとしたことがある。まあ、ハンダ付けの途中で頓挫(家ではハンダごてにぎる気が起きない)してるんだけど。で、それやりながら、「つうか、こんなに単純なインターフェイスならマウスでシミュレーションできんじゃね?」とか思ってたんだけど。
http://www.gizmodo.jp/2006/11/soft_theremin_1.html
ほらー。あるんだよー。思ったときにはもう。
ソフトウェアみたいな、比較的参入隔壁が低い(素人でもものが作れちゃう・生産コストが安い)分野って、細部の緻密さか規模の大きさでしか勝負ができないんじゃないかと思う。そこでは、一部の芸術家的な扱いを受ける人々以外はもはや巨万の富や絶大な名声を得られることは無い。
だいぶ前から指摘されているみたいだけど、「IT関連企業」とかいうもの、とくにSIerなんかが顕著だけど、ほとんどゼネコンと同じになってる。実際に一部では(たぶん大手SIerのことだと思うけど)「ゼネコン」という呼び方が使われている。そのうち政治家と公共事業の受注関係で癒着したり、「IT族議員」がでてきたりして。で、そのまた何年後かには、土地に相当するものが高騰してバブルになったり、その後ゼネコンが叩かれたように叩かれたり、するんだろうか。そして「重厚長大産業」みたいな斜陽を迎えたり…。
一方で、時として、仕組みとしては大したことの無い商品やビジネスモデルが、人々の価値観を変えることで大きな変化を生む。新たな巨大産業を一瞬にして産み出し、あるいは「安定した」産業をあっさり屈服させる。パソコン、iモード、ブロードバンド、インターネット、Google、Amazon、Webアプリ用APIの公開、Ajax、Youtube…。
究極的にいえば、本来、人間が手を下す必然性のある作業はたぶん2種類しかないと思う。ひとつはサービスするのが人間であること。もうひとつは思いつくこと。
ところが、思いついたものを実体化して、それを生産したり実施するのが、完全に自動化されるまでには意外と時間がかかるようだ。そして大半の人類は、その、自動化されるまでの間の、一時的に人がやらないといけない仕事で生きているらしい。なにしろ未だに農業が「業」としてあるのだから。あるいは江戸時代の「最新」が、いまでも「伝統」としてまもられているように、そのうちソフトウェアにもある種のアナクロさ、人間が関わっていることが「売り」になる分野が出てくるかもしれない。
これだけ誰もが発信する時代になると、「新しいものを見つける(そして手に入れる)こと」=発見と、「新しいものを思いつくこと」=発明の差はほとんどないような気がしないだろうか。思いついてググったら、だいたい見つかるか、あるいはそもそも不可能であるかのどちらかだと思う。
しかしなお、「思いつく」だけでは手に入らないというのは重要な点で、そこのギャップを最初に埋めること、何かを最初につくる(実現する)のが「仕事」というものなのだろうか。