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エスノ研: P. カリフィア『パブリック・セックス』読書会第1回

 エスノメソドロジー研究会(通称: エスノ研)が連続して3回程度に分けて行う予定のP. カリフィア『パブリック・セックス』読書会の第1回が7月8日(火)、早稲田大学戸山キャンパスで開催され、全部で16人くらいの参加が集まりました。僕、飯田も参加しましたが、大変エキサイティングな読書会でした。


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(早大戸山キャンパス正門にて)

 まず、少しだけこの本のタイトルについて書いておくと、「パブリック」っていう言葉には、どうも独特の含みがあるようだ。ここでは単に「公衆の面前でのセックス」といって想像されるものを表しているわけではない。たとえば、北米やイギリスでは、ある時代に、いわゆる「ハッテン場」みたいな場所も、公共の場所であるから、セックスをしてはならないというような規制ができたそうだ。そして肝心の、何がパブリックで、どこからが性的な行為なのかということに関しては、行政が恣意的に決定するという例が挙げられている。
 また、関連して出てくる単語に「バスハウス」(bath house=(公衆)浴場)というものがある。これも文中によく出てくるが、正確なニュアンスがわからない(どう考えても銭湯じゃないんだけど)。読書会でみんなが言っていたことを総合すると、会員制のサウナかなにかがある「ハッテン場」ではないかということになった。そして、「パブリック・セックス」の主要な規制対象のひとつがこのバスハウスだということだ。これは「性行為や裸を見ても・見られても構わない不特定多数の人たちが来る場所」は、第三者がいるのだから「パブリック」であるという論理だそうだ。
 つまり、この『パブリック・セックス』というタイトルは、そういう「プライベート」と本来の意味での「パブリック」のあわいに生きている人たちの存在を表していると理解した。

 僕はこのタイトルの意味がわからなくて、この本の各記述が一体何のためのもので、どうやって受け止めたらいいのか、I章が終わるくらいまで、さっぱりつかめずに本気で悩んだので、蛇足かもしれないがこういう解説を書いてみました。(しかし、こういう文化の面では、もう少し訳注や翻訳が親切でもいいのにと思う。)

パブリック・セックス―挑発するラディカルな性

パブリック・セックス―挑発するラディカルな性

(この読書会の影響か、この本のマーケットプレイス価格が3千円以上急騰した。元は千円台。)

 いまTwitterのプロフィール欄を見なおしたら、主催団体のエスノ研というのは大学生に一般人も混ざっているインカレサークル、のようで、僕が思っていたより若い人が多かったです。そもそも、僕は勝手に10年くらい経っているサークルだと思っていたので、勝手にびっくりしてました。

 僕がここ数回(数ヶ月)参加している「コンテンポラリー読書会」はほとんどここのイベント経由で来た人ばかりなので、前からエスノ研にも行ってみたいとは思っはていたのですが、どうも雰囲気や内容がわからないので、果たして僕が行って、邪魔にならないかしらと二の足を踏んでいたのです。
 でも、今回は、テーマ(書名)が提示されたイベントだったのと、ちょうど他の読書会を見てみたいと思っていたので「読書会」の文字に惹かれて、参加してみることにしました。

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突如としてバーベキューをやった。

7/6(土)に鵠沼でバーベキューをしてきました。
で、例によって、読書会は2次会までが本番です、みたいな感じで、近くのマクドナルドでダベりました。

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隣の浜(片瀬西浜)は、海面にサーファーがびっしり浮かんでいてすごくびっくりしました。
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さて、今回もいくつか本を持っていったので、それらについてご紹介しておきます。

表のテーマが「バーベキュー」なら、裏テーマは「浜辺で読みたい本」です、みたいな感じでお題がありまして、僕は、床に積んであった本のタワーから、上の方にあってぱっと目に入った、

の4冊の文庫本を持っていきました。

「BAD KIDS」の2作品は千葉ですが、海の近くの物語です。

海がきこえる』は、タイトルに「海」が入っていますが「BAD KIDS」と違って、もうちょっと都会的で、砂浜というイメージではありません。ただ「単に好きな本」でも構わないってことだったので、いいかな、と。
BAD KIDS バッド キッズ (集英社文庫) 海を抱く―BAD KIDS (集英社文庫) 海がきこえる (徳間文庫) 海がきこえる〈2〉アイがあるから (徳間文庫)

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石川×服部『ノーザン・ラッシュ vol. 1 爬虫類』

文フリで買った石川美南×服部真理子『ノーザン・ラッシュ vol. 1 爬虫類』を読んだ。
16ページの小振りの小冊子だが、カバーや表紙、挿し絵などだいぶ凝ったつくりだ。ふたりの歌人が爬虫類カフェへ行ったレポートと、そのときのことを中心として、それぞれが詠んだ連作が納められている。

服部真理子「樹は夜も」

日の光、月の光と順に浴び亀はひと日を動かずにいた


僕たちの祖先と彼らの祖先が分岐した日の朝焼け思う

登場するのが亀だということもあるかもしれないが、人間よりも長い一生を悠然と過ごす姿がうかぶ。
後者はさらに長い長い時間を扱っている。
いずれも未知の光景なのにイメージできてしまうのが不思議だ。

鱗ある足や足でないものが僕とあなたの夢わたりゆく


天を衝くほどだったという古代樹を二人がかりで思い描けり


水の量測るすがたを見つめてる花はあなたに素足を見せて

石川美南「脱ぐと皮」

わたし変温動物だから灼熱の打ち明け話ほとほと不得手


てらてらと光てやまずわたしより先に脱皮した友だちが

わりと違和感なく読めてしまったが、爬虫類が主人公ってやっぱりちょっとおかしみがある。
恒温動物の打ち明け話はやっぱり熱いから、変温動物のトカゲかなにかが「おいおい、わたしに聞かせてくれるなよ」と愚痴ってるみたいで可笑しい。変温動物って鳴かないのも多いから、余計に愚痴を聞かされそうである。

心かつ踵かつかつハイヒール履けばこの世はいよいよ硬し

どうでもいいかもしれないけど、これはハイヒールを履いたことのある人の歌だなあ、と思った。いままでそういうこと考えたことなかった。けど、たしかに、あんなに底の硬いものを履いて、硬い「この世」を歩いたら、膝まで振動が響きそう。

面白い歌集でした。

『本郷短歌』第3号の感想と言い訳

こないだの文フリで買った『本郷短歌』第3号を読んだ。


僕はふだんから短歌を読まない人間なので、この短歌について僕が書いたものを公開するのもどうなのかなとは思ってたんですが、よくわからないなりに感想を書けば、もしかしたら「本郷短歌」の知名度向上だとかに役に立ったりするかもしれないかも(そうであって欲しいな)と思って、公開することにしました。
とはいえ、特に短歌のパートは、解読できなかった歌も少なくなく、連作全体を見通した総合的な感想を述べられない作品もありました。また、感想がピント外れのところもあるかもしれなません。笑ってゆるしていただけるとありがたいです。


感想を文章として書こうとすると、何も言わないっていうわけにもいかないので、理解できない歌とどう対峙するのかというのは本当に難しい問題で、「分からないけど何かすごそう」と思考停止してしまいそうになる。


そこで、行き当たりばったりだけど、「分かった気がしてすごい」ものと、「分からないけどなんかイメージされるものがすごい」ものについては、「すごい」と書くことにした。


本誌は東大の本郷短歌会の機関誌で、年度末ごとに発行されているそうで、本号は短歌の連作(延べ15人分)、行事のレポート、評論(特集:ジェンダー)、前号(第2号)に載った作品のレビューなどで構成されている。


短歌連作については自信がないので後にまわし、さきに評論について書く。


(実はいま目次を見直したら、前号の講評の前にふたつも見逃していた文章があって愕然としている。寺山修二と稲葉京子についての文章だ。でももう頭が限界なので勘弁してください。後日余裕ができたら書きます。ほんとうにごめんなさい。)

特集:ジェンダー ——身体・こころ・言葉——

宝珠山陽太「〈母性〉の圧力とその表現」においては大口玲子『トリサンナイタ』と俵万智『プーさんの鼻』というふたつの育児や出産を扱った歌集をとりあげ、これらの作品中にみられる「〈母性〉の圧力」についての表現を検討し、さらに、それがこれらの作品中に意識的に表現されたものであることを示し、これら2作品は本質的には同じ問題を扱っていて表裏一体であることを明らかにしている。
吉田瑞季「開かれた『私』 現代短歌における作者の位置」は短歌に描かれた主人公像である「私」と作者である「私」の位置関係の変遷を、時代を大きく3つに分けて分析したものだ。
服部恵典「『歌人』という男」では、この特集のテーマである「ジェンダー」に真正面からとりくんでいる。過去10年分(10回分)の短歌雑誌の新人賞の講評を調査し、そこで「女性性」や「女性」がどのように扱われてきたかを、サンプル数は少ないものの定量的に明らかにした。また、さらに、そのような扱い方による弊害も指摘している。
また、特集の末尾には関連する文献を解説つきで紹介していて、親切設計である。


「〈母性〉の圧力」は現場リポートという感じがした。『トリサンナイタ』が「歌集全体の構築性が、読者の眼前に一つの母子の関係をつきつけている」として、その実例を示している
また、『トリサンナイタ』と『プーさんの鼻』の違い(ネガティブ/ポジティブ)は歌人本人の「パーソナリティの違いといった問題に帰着できるものではな」く、「どう取り組むべきかという歌人としての意識」の問題だという点は、吉田の「開かれた『私』」でさらに検討される。


「開かれた『私』」は、「アララギ自然主義」とそれに避けがたく付随する「二重の嘘」(「作者の体験した諸事実に即して作るもので……読むときにもそのつもりで読む」)を脱したつもりでいる現代の短歌表現がなお、説得力を持たせるために「真実」を「実感」に読み変えただけの「二重の規範」に縛られているのではないかという疑問を投げかけている。
本特集のテーマである「ジェンダー」に関していえば、「実感」の中にはジェンダーやその他あらゆる作者の属性を反映した表現が含まれることを考えると、「二重の規範」から解放されることは、ジェンダー等の属性を反映した作品づくり・読みとりを強いられることからの解放につながる。「私が誰か」ということに縛られている、ということに自覚的になるべきではないか。(という風に僕は読んだ。)


「『歌人』という男」と「開かれた『私』」は縦糸と横糸という感じで、よくできたチームプレイだと思う。はじめに「開かれた『私』」を読んだときは、「で、ジェンダーがどうしたんだっけ?」という感じであったが、「『歌人』という男」と併せて読むと、相乗効果で「私」の位置関係がより立体的に見通せるようになるのだった。


「『歌人』という男」は定量的なデータと定性的なデータをうまく組み合わせていて、その過程は痛快と言いたいくらいだ。
大ざっぱに言うと、新人賞のなかで「女性的」な歌人がどういう風に弁別され、「女性」だと決められるとどういう扱いを受けるのかということを示している。また、「男性的」とされた作品よりも、「女性的」とされた作品の方が圧倒的に多いことなどから、「『歌人』はふつう『男性』」だと認識されていることも明らかになる。
ジェンダー論の立場からみると本記事の議論は「基本的な考え方であり、新しさはない」ということで、(そういうニュアンスで言ったんじゃないと言われそうだけど)たしかに各トピックをあまり深追いしていない印象もあるが、文章量と内容のバランスがよく読みやすかった。

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第18回文フリに行ってきた

第18回文学フリマが5月5日、品川区東京流通センターで開催されました。


僕は15時到着と、だいぶ遅くなっちゃって、終了までのの2時間でばーっと、なんとか全部回ったという感じだった。そういうわけで、とくに誰かにご挨拶ということもなく。じつはネット上でフォローしている方が、3組ぐらいおられたのだけれど、顔バレしてるアキティベのブースに「どうもー」って短く挨拶して、あとのブースでは手短に購入だけさせていただいて、ご挨拶は遠慮させていただきました。どうも申し訳ないです。
みなさんなぜか客あしらいが丁寧で、すごいです。ありがとうございました。


事前に印をつけたブースを直線的に回っただけで終わっちゃった。回りをキョロキョロする時間的余裕がなかったのはちょっと良くなかった。たとえば10カ所程度買って他には全く興味がないとかいうのでないかぎり、あんな時間から行くものではないなー。


途中、財布が空になったので建物内の変なところにある、ゆうちょATMへ。まあ、いま数えたらフリーペーパーなどを除いても50冊以上買ったらしくって(無料だか有料だったか思い出せないものがあるので誤差があるが)、そりゃあ何の準備もしてなかったら財布も空になるわ……って感じ。
それにしてもなんで、同人誌とかフリマって金銭感覚がおぼつかなくなるのだろうか……。


前回行った文フリって、蒲田の大田区産業プラザPiOでやったやつで(09年5月の第八回: 文学フリマに行ったのだ - nikki-da)、なんと、もう5年も前なのであった(!)。
それと比べると、今回は倍くらいの広さに、倍くらいのサークルが入ってたわけで、もっとのどかで、サッと全部見て回れるイメージだったからびっくりした。隔世の感がある、というやつだ。
じつは前夜に嫌な予感がして、めずらしく一夜漬けで全サークルをチェックして、当日のぞきに行くサークルを70カ所まで絞り込んでおいたのです。(コミケでもコミティアでもやんなかったのに。) それでもまだ多すぎると思うのだが(主に金銭面で)、現地で全600以上のサークルをチェックするよりはぜんぜんマシである。フロアマップに丸つけておいて本当によかった。


ところで、なぜか位置表示(「A-01」みたいなやつ)を確認できるところ(張り紙とか)が少なくて、最初のうち、ちょっと慌てた。「A、B、C…ア、イ、ウ…」はまだ覚えればいいわけだけど、特に数字部分はブースの看板にはめったに書いてないので、端の方から歩きながら「いち、にー、さん、し……」って数えるしかないと思う(あるいは僕が気づいてないだけで、みなさんはもっとスマートな方法をご存知だったりして……)。いや、でも、まあ要はあせって回る方が悪いのです……。


じつはこの記事書くにあたって、戦利品を自慢しようと思って、著者・タイトルのリストを作ったんだけど、まだ表紙しか見てないようなのも結構あり、そういう状態で紹介するのはどうだろうと思えてきたので、載せるのやめておきます。
それにしても判型別に区分けしつつ、表紙や奥付にある発行元や著者名を一冊一冊ながめていくと、世の中には僕の知らない作家がこんなにたくさんいるんだな……と厳粛というような境地に達してしまったのです。僕自身がストーリーを作るのが苦手だからかもしれないですが、みんながみんな、全然別なものを書いてるわけで。上手く説明できませんが。

ももんがは勘定に入れません

なんだかみなさんおっしゃってますが、なにがなんだか、わけがわからないうちに陰謀と軽率さと生まれついての無鉄砲で、気づいたらももんが Advent Calendar 2012の記事執筆を引き受けてました。

この記事は12月17日分です。

(で、当日になってもネタが思いつかないのでふて寝してて、すみませんいま夕方なんですが、ふて寝するのをやめてやっと書き始めました。)

このままだと

「偶然にも、ももんが Advent Calendar 2012という企画で『なにがなんだかわからない、存在理由の推し量り難い記事』を書くことになった俺たちは……。」

とかなんとかいう不条理劇に巻き込まれ、27年の短い生涯だった(ちなみに、きょうが誕生日なので、みんな祝え)……ってなっちゃうので、早くなんかアップしないとやばい!のです。さあ何書こう。

首謀者によると

ももんがをHackするのであって、コンピュータをHackするのではない(〃l _ l)
コンピュータの得意な方は、コンピュータともももんがと関係の無い事を、コンピュータの得意でない方は、ももんがとは関係無くコンピュータに関する事を書きましょう。ももんがと関係の無い事は、要するにももんがに関する事です。

ということで、ようは何書いてもいいと解釈したんだけど、とはいえこれってアドベントカレンダーなんだよね。

アドベントカレンダーって、平たい箱のフタにビンゴみたいな感じでミシン目がついた日付が並んでて、毎日、穴をあけるとなんかこうぽろっと小さい人形とか、小瓶に入った香水みたいなプレゼントが出てきて、へー……ってやつですよね。ちょこっと読んで楽しめるようなのがいいんだよね。でも、ぼくってそういうの不得意なんだよね。

 

どうしようかなあ……。と、いま小一時間考え込んでたんだけど、僕に紹介できるネタなんて最近読んだ小説くらいのもので、まあ正月に暇があったら長ーーいSFでもいかがかしら?という感じでコニー・ウィリスのタイムトラベルものとか紹介しようかしら。

ほんとは「ブラックアウト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)」っていうやつがいいかなって思うんだけど、これ、まだ完結してないんだよね。(完結編、原著は出てるらしいけどね: All Clear)

 

オックスフォードの学生がタイムトラベルして、なんだかみなさん人の話を聞かないキャラクターばっかりで、ヴィクトリア朝のイギリスで右往左往するという。SFなんだけど、時代劇っぽい感じでヴィクトリア朝の貴族連中のバカバカしい生活が細部まで書き込んであって面白いですよ。冗長だし、人の話を聞け!って感じでだんだんイライラしてくるかもしれませんが……。慣れですね……

個人的にはこういう、都合が悪いところへは行けないっていう、タイムトラベルの設定は見たことがなかったので、なるほどーって感じでそこも面白かったです。

(タイトルはボートの三人男 (中公文庫)という名作から採っている。作中にもそのネタが少しでてくるけど、知らなくても問題ない)

一応これがシリーズ2作目かなんかなので、そういう読む順番とか気になる方は「ドゥームズデイ・ブック〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)」「ドゥームズデイ・ブック〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)」とかから読むとよろしいかもしれない。

 

あ、SFじゃなくて、ミステリというかアクションというかスパイものというか……だけど、njslyrみたいな変な日本と中国が出てくるドン・ウィンズロウの「サトリ (上) (ハヤカワ文庫NV)」「サトリ (下) (ハヤカワ文庫NV)」もなかなか長くていいですね。まだ足りないという方には、やはり同じ著者の(ふつうの)スパイものである、「フランキー・マシーンの冬 上 (角川文庫)」「フランキー・マシーンの冬 下 (角川文庫)」も追加でいかがでしょうか。

 

このくらいあれば正月は乗り切れるかな?

と、いうわけで本日は「長ーい海外エンタメ小説」のご紹介でございました。

みなさまの寝正月のお供にどうぞ。

 

と、まあそんな感じで、お許しいただこうかと思います。

あすは@ayafmyさんです。

 

お後がよろしいようで。

Merry Christmas!


Frank Sinatra - Have Yourself A Merry Little Christmas

集英社ナツイチ、新潮夏の100冊、発見!角川でかぶっている古典作品

cf. http://book.akahoshitakuya.com/event_1.php (「新潮文庫の100冊」「ナツイチ」「発見!角川文庫」未読チェックツール - 読書メーター)
どのくらいかぶるのか数えてみたくなったので。(まだ途中)

太宰、最強。

次点は漱石サン=テグジュペリ

こころ / こゝろ(角川)

こころ (新潮文庫)
こころ (集英社文庫)
こゝろ (角川文庫)


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