(新書を読み慣れていない人間が、ある新書を読みながら経験したとまどいと、そこから得た教訓として。)
目的
新書は説得されるために読むもので、タイトルを見て説得される気が起きないなら、読む必要がないものだ。
ともかく、読むならば、説得されるつもりで。積極的に説得される姿勢をつくってから読むべきだ。本を読んで影響されないなんてもったいない><!
新書は文芸書ではないし、論文でもない。
文芸書は文章を味わうための文章なので、無意味な無駄はない。
科学的な論文の各文章は、意見か事実である。深く読み込むために、センテンスごとにいちいち検討しながら読むような読み方も、できるようにフォーマットされている。
新書はそういうものではない。新書は自分のなかにニーズがあって、それのために読むものだ。だから、読む方も実用性を意識して読みたい。
あまり深く考えない
新書の文章というのはむしろあまり考えずに読んだ方がいい場合がある。
たとえば、論文には書かないような、著者のプライベートや、趣味について書かれていたりする。新書の形式というものは、そういうエッセイ的な流れにのせて読者を誘導しながら、要所要所では必要なくさびを入れ、読者を説得するようにできているようだ。
したがって、読者としては、あまり細かい部分にまでつっこみを入れながら読むと、疲れてしまう。目的はあくまでも流れに乗って説得されることだから、「ここは一般論です」というラベルがついているところは一般論として読むべきだし、「ここは、つなぎの文章です」というような事項まで、いちいちまともに検討しだしたら流れをつかみそこなう。
むしろ、意識的に抜粋しながら読むほうがいいかもしれない。
また、場合によっては著者と意見がぶつかるかもしれないが「そういう意見が書かれているなー」と客観的に見よう。
ぜんぶ憶えなくていい
新書は何かのマニュアルではない。毎回こんな量の文章をいちいち読んでいるのは実用的ではない。たとえば「文章の書き方」についての新書は、何か書くたびにいちいち全部読み返すようにはできていない。
むしろ、実用上必要な情報は、一度読んで「なるほど」と感じたところだけメモを取ればいい、というぐらいの量しかない。
新書の文章というのは、知識やノウハウに、説得力もたせるためのフォーマットだ。で、基本的に、説得というのは不可逆な過程なのだから、一度で十分。だから一度説得されたあとは、そのために使われた部分はいらないわけだ。
知識を記述するための文章ではない、読者を誘導するための文章は切ってもいい。
知識やノウハウの部分だけを残して、忘れてしまってもいいようにできている。なので、そもそも、すべての文章をいちいち頭に入れなくてもいい。書いてあることをぜんぶ伝えて、ぜんぶ憶えてもらおうとは著者も思っていないはずだから。
このようなことを念頭に置いておくと、「実用的に」新書を読みこなせるのではないかと思った。
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