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青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記

青い光が見えたから 16歳のフィンランド留学記

著者は、童話ムーミントロール(ムーミン)シリーズの世界観に導かれて、高校からフィンランドへ行ってしまったという。その高校生活を書いたエッセイ。


つうか、中学で先生が手や足を飛ばしてたというので、もっと年上の方かと思ったら、おれと1学年しか違わないらしい(84年生まれ)。これは、地域差かな。うちの学校は、先生が生徒の襟首つかんだってだけで処分とか結構な騒ぎになってた憶えがあるぐらいだから。
しかし、やはり無言の圧力みたいなものは感じて、ある程度自分を殺していたと思う。もう覚えていないけど。たとえば、まったく口には出さないんだけど、お互いの暗黙の了解として、じぶんの代わりにじぶんの「内申書」が人質にとられてる感じ、とか。回りくどくなっただけで、構造は変わらないわけだから。


で、進学して多少「自由」になっても、はじめは使い方が分かんなくて戸惑うという意味では、おれもそうだったかも。おれは、3年目にして初めて髪の色を変えたりした。
もっとも、高専のその辺の適当さは、ふつうの都立高校と比べるとゆるかったのかもしれない。「ふつう」を知らないので比較できないけど。事実上、何も規定がない(共学なのに最近まで「制服は詰襟」が規定あったが、制服は買わない。いかに誰も気にしてないかわかる)。校則は、授業のシステムとか運営規則がメインだった。
だいたい、そんなところに労力を注ぐひまな人(先生)が、そうそういない。


一方で、高専とはいえ、やはり本書にでてくる高校ほどは「自由」ではない部分もある。
理系なせいもあるだろうが、授業は基本的にがちがちの時間割だとか、単位制ではなく学年制だとか。部活動に相当するものがないというのは、違う。どちらがいいというものでもない。ただ、これらは、こういうモデルもありだな、というはなしだと思う。
むしろ、それにしても、説明しきれない雰囲気の差があって気になる。意識の差だろうか。


ただ、些末な差をみるより、まず読み取るべきは「大人扱いすれば、大人になる」といようなことかも。おれの身の回りを見てもそうだけど、自然な責任を感じるようにするほうが、頭ごなしに叱るより、長期的に見れば効く。

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