プログラマーになりたい。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

ブログ移行から3週間たちましたが

 このブログ、ろくな記事がねえな。
 移行してきたときは、「これからは、もっと整理された短い記事を日記のようにちょこちょこ書きたいな!」とか思っていたんですが……。
 なんでこう、何を書いても長くて、こんがらがった文になってしまうのだろうなあ。

鈴木健『究極の会議』、再読

究極の会議

究極の会議

 

  こないだのBBQの帰りに、この本を、6年前に読んだうろ覚えの知識で知人に紹介してしまった。実は紹介といっても、書名すら思い出せなかったのだ。それでちょっと気になっていたので、探して再読した。

 ついこのあいだまで、会議術の本なんてこれしか読んだことがなかった(こないだ小学生向けの会議術の本を読んだ)。なんか、これを知ってしまうと他の本が少し色あせてしまって、その後他の本を手にとる気になれなかったのだ。

 
 この本のテーマは
「会議はその場で議事録を作るためにある」
ということだ。それ以外にない。このわかりやすさにはしびれた。
 しかも、この1文は序文に書いてあるのだ。いくら実用書だからといって、ふつうはもうちょっともったいぶると思うんだよね。このストレートな感じもいいと思った。
 
 このやり方には向かない会議もあるとしつつも、そっちについては目もくれず、ひたすらこれだけで1冊書いてしまっている。
 一応、
  • 議事録取るときは意見、結論、ToDoをわけるとか、
  • ToDoには担当者と確認者と期限を絶対つけるとか、
  • トピックごとにはじめに時間を決めておくとか
15個の注意点が、あるにはあるんだけど、基本の「議事録を作るため」という姿勢はまったくぶれないのがすごい。
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梅澤実 監修『理解が深まるディスカッション (話す力・聞く力がつく発表レッスン3)』

  梅澤実監修『理解が深まるディスカッション (話す力・聞く力がつく発表レッスン3)』(学研)という本を読んだ。

 地域の図書館には、「KJ法」がキーワードとして設定されている本が、なんとこれしかなかったのである。これ対象年齢は小3~中学生で、児童書なんですよ、まったく。時代だなあ……。で、ひさしぶりに児童書のコーナーに入りました。
 
 内容ですが、絵本みたいな装丁のくせに結構詰まってて、意外と読むのに時間がかかりました。各手法ごとにいちいち議論の具体例が示されているのです。
 また「KJ法」といっしょに「マッピング」というのも紹介されてて、こっちはなんかマインドマップのようなそうでもないようなものです。「KJ法」とともに、よくあるようにブレストのまとめ方みたいな感じでしたが、結構ちゃんと説明してありました。
 僕なんか、もう元祖の本は読まないでもいいかなあ……とか思ったくらい。特定の状況でのマニュアルとして考えると、元祖の本を読むより短くまとまってていいと思うんだよね。
 
 そういえば、これは偶然だけど、先日の読書会で急にディベートになったとき、それでもなんとかのりきれたのは、その前にたまたまこの本の「ディベート」の項を読んであったからかもしれない。シンクロニシティ(?)。ほんと、捨てるところのない本です。

エスノ研: P. カリフィア『パブリック・セックス』読書会第1回

 エスノメソドロジー研究会(通称: エスノ研)が連続して3回程度に分けて行う予定のP. カリフィア『パブリック・セックス』読書会の第1回が7月8日(火)、早稲田大学戸山キャンパスで開催され、全部で16人くらいの参加が集まりました。僕、飯田も参加しましたが、大変エキサイティングな読書会でした。


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(早大戸山キャンパス正門にて)

 まず、少しだけこの本のタイトルについて書いておくと、「パブリック」っていう言葉には、どうも独特の含みがあるようだ。ここでは単に「公衆の面前でのセックス」といって想像されるものを表しているわけではない。たとえば、北米やイギリスでは、ある時代に、いわゆる「ハッテン場」みたいな場所も、公共の場所であるから、セックスをしてはならないというような規制ができたそうだ。そして肝心の、何がパブリックで、どこからが性的な行為なのかということに関しては、行政が恣意的に決定するという例が挙げられている。
 また、関連して出てくる単語に「バスハウス」(bath house=(公衆)浴場)というものがある。これも文中によく出てくるが、正確なニュアンスがわからない(どう考えても銭湯じゃないんだけど)。読書会でみんなが言っていたことを総合すると、会員制のサウナかなにかがある「ハッテン場」ではないかということになった。そして、「パブリック・セックス」の主要な規制対象のひとつがこのバスハウスだということだ。これは「性行為や裸を見ても・見られても構わない不特定多数の人たちが来る場所」は、第三者がいるのだから「パブリック」であるという論理だそうだ。
 つまり、この『パブリック・セックス』というタイトルは、そういう「プライベート」と本来の意味での「パブリック」のあわいに生きている人たちの存在を表していると理解した。

 僕はこのタイトルの意味がわからなくて、この本の各記述が一体何のためのもので、どうやって受け止めたらいいのか、I章が終わるくらいまで、さっぱりつかめずに本気で悩んだので、蛇足かもしれないがこういう解説を書いてみました。(しかし、こういう文化の面では、もう少し訳注や翻訳が親切でもいいのにと思う。)

パブリック・セックス―挑発するラディカルな性

パブリック・セックス―挑発するラディカルな性

(この読書会の影響か、この本のマーケットプレイス価格が3千円以上急騰した。元は千円台。)

 いまTwitterのプロフィール欄を見なおしたら、主催団体のエスノ研というのは大学生に一般人も混ざっているインカレサークル、のようで、僕が思っていたより若い人が多かったです。そもそも、僕は勝手に10年くらい経っているサークルだと思っていたので、勝手にびっくりしてました。

 僕がここ数回(数ヶ月)参加している「コンテンポラリー読書会」はほとんどここのイベント経由で来た人ばかりなので、前からエスノ研にも行ってみたいとは思っはていたのですが、どうも雰囲気や内容がわからないので、果たして僕が行って、邪魔にならないかしらと二の足を踏んでいたのです。
 でも、今回は、テーマ(書名)が提示されたイベントだったのと、ちょうど他の読書会を見てみたいと思っていたので「読書会」の文字に惹かれて、参加してみることにしました。

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突如としてバーベキューをやった。

7/6(土)に鵠沼でバーベキューをしてきました。
で、例によって、読書会は2次会までが本番です、みたいな感じで、近くのマクドナルドでダベりました。

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隣の浜(片瀬西浜)は、海面にサーファーがびっしり浮かんでいてすごくびっくりしました。
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さて、今回もいくつか本を持っていったので、それらについてご紹介しておきます。

表のテーマが「バーベキュー」なら、裏テーマは「浜辺で読みたい本」です、みたいな感じでお題がありまして、僕は、床に積んであった本のタワーから、上の方にあってぱっと目に入った、

の4冊の文庫本を持っていきました。

「BAD KIDS」の2作品は千葉ですが、海の近くの物語です。

海がきこえる』は、タイトルに「海」が入っていますが「BAD KIDS」と違って、もうちょっと都会的で、砂浜というイメージではありません。ただ「単に好きな本」でも構わないってことだったので、いいかな、と。
BAD KIDS バッド キッズ (集英社文庫) 海を抱く―BAD KIDS (集英社文庫) 海がきこえる (徳間文庫) 海がきこえる〈2〉アイがあるから (徳間文庫)

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「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」

 先日、読書会のメンツで東京国立近代美術館(北の丸公園)に行ってきました。現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションよりを見ました。

 それなりに印象に残った作品もあっはずなのですがあまり思い出せなくて、全体としての印象を述べますと「いつも思うのですが、今回も「すごいけどこれがなぜ数十億円もするのか」って思いました。美術は本当にわかりません。」という感じになってしまいました。
 風流を解さないって感じがして、こう言うのはいやなんですが、僕、昔から芸術はよくわからないのです。これでも、小学生のころに3年間ほど美術教室にも通ったし、中学の美術は先生ウケだって悪くはなかったんだけど……。
 それと、いつもはこんな無粋なことを美術館帰りに言いません。僕にもその程度の知恵はあって、他の状況なら「うん、そうだねー。すごかったねー」もありだろうと思っています。ただ今回は読書会がからんでしまったので、やむをえず「わっかんなーい」って白状した次第です。分からないのに分かったふりをして議論をするのは、僕には無理だなと思いまして。

 ちなみに、文学や音楽ならもう少しマシなんですけどね。あるいは同じ「絵」でもイラストレーションとかマンガだとわりと露骨に好き嫌いというものがある。でも、ジャズやクラシック音楽も、実際、なんか違いがよくわからないのが多いし、なんというか、ポップなものしか分からないってことなのかもしれないですね。
 そういえば、そういうわけだから例外的にアンディ・ウォーホールはおしゃれには見えるんだけど、それだけではあの値段は説明できません。
 そして、たぶん一番印象に残っている展示物は「ウォーホル」と書いてある札でした。「ウォーホール」と覚えていた作家が「ウォーホル」って書いてあって、「さいきんはこう書くのかー」とか思ったのが印象に残っています。これ以外忘れてるって、いかにも駄目な感じ。

 ミーティングでも(コミュニケーション手段として)言語を特別視しないほうがいいって言われた記憶があるんだけど、むべなるかなって感じ。だって僕自身が言語(ロジック)以外解さないんですもの。

はてなダイアリーから引っ越してきました(仮)

 まだ暫定的にですが「ダイアリー」からこの「ブログ」に移行することにしました。
 元の「ダイアリー」側の記事も当分は消さないでおくつもりですが、新しい記事についてはこっちだけに書くことにします。リダイレクトは元の記事とコピーされた記事の1対1ではなくて、すべてこちら側のトップに誘導される仕様なので、まだやめておきます。

 僕は「はてなダイアリー」にコンスタントに書き続けてきたような熱心なユーザではないけど、はてな記法idコール自動トラックバックなどから新しい時代を感じた記憶もあり、また、むかしはてなにはあった独特の雰囲気のようなものにも多少は懐かしさがあって、そういった感傷も含めて「ダイアリー」には結構愛着を持っていた。ところが最近は、はてな社のダイアリーへの熱意がさめていくのを露骨に感じてしまって、正直むなしい感じがしていた。

 しかし、そうはいっても、1ユーザとしては所詮は運営側の手のひらの上で活動しているわけだから、主人が軸足を変えるのを防ぐのは無理である。もし運営が別のサービスに力を入れると勝手に決断したとして、我々はその流れに個人的に逆らうことはできても、それによって長期的にみて不利益をこうむる可能性までは防げないのである。

 たとえば、今後、新機能は基本的に「ブログ」にだけ実装されるといったことは十分考えられる。
ある機能が「ブログ」でだけ進化して、「ダイアリー」が相対的に使いにくくなったり、さらには何らかの事情で「ダイアリー」でだけ機能が削られてしまうというようなことも、あるかもしれない。

 そういうわけで、運営がもう「ブログ」にしか興味がないと推定されるなら、僕は「こっちも早いうちに順応しといた方が何かと得かもしれないぞ」と思い、なつかしの「ダイアリー」をあっさり放棄し、「ブログ」移行するるという浅ましい判断をしたのである。
 また、経験的にいって、新しいウェブサービスに早いうちにツバを付けておくことは、後々なにかと自分に有利にはたらくことが多い。例えば大抵のサービスでサブドメインやユーザ名は早い者勝ちだというようなレベルでもそうだし、後発ユーザとの知識差で利益を得ることもある。

 まあともかく、引っ越しました。
 大したことはできませんが、新しい場所でも、よろしくお願いいたします。

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