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「諸君」が最終号なのだそうな

保守論壇の雄とされる「諸君」の最終号。「日本への遺言」と題した迫力ある内容。 宮崎哲弥氏が司会をして、櫻井さんなんぞもでいてる長文座談会をがっつりと読む。 結局、ぼくはこの雑誌をこなせずに終わったな。というか、この雑誌が位置する座標軸をいまひとつ自分の座標軸と対応させることができなかった。 結果、2度あった掲載の機会のうち、1度は掲載され(捕鯨ネタ)、もう1度はボツ(喫煙問題ネタ)になったっけ。 「リベラル右派」を自称する宮崎氏だが、ぼくは自分がリベラル右派でも左派ではないし、しかし、中道ってのでもないだろう、とよく分からないのであった。

ふむ、と一旦はふつーに通り過ぎたのだけど。
「日本への遺言」ってすごい見出しだ。
いま、これを書きはじめたら、「日本への最後屁」というフレーズが浮かんだ。最終号というのは、つまりあまりペイしないということなのでしょうか。さいきん保守系が元気らしいので、部数を伸ばしているイメージがあったのでちょっと意外。ということは、ネオなんとかとか、ネットなんとかな人たちは、読まないんだろうか。


ぼく自身は、残念ながら保守系の著名人たちの「良識ある」とか「当然」というような感じは、いけすかないと思ってしまう。持てる者の理論だなあと。


ところで、川端氏が「雑誌が位置する座標軸をいまひとつ自分の座標軸と対応させることができなかった」と書いておられますが、そりゃあ無理だろう。とりあえず科学的な「正しさ」をみる人と、科学の前に政治的とか思想的な「正しさ」を考える人じゃ、お互いに見てるものが全く違う。各々の軸は直交してて、相関性なんてほとんどなさそうに感じる。

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