『エバーグリーン』文庫化
- 作者: 豊島ミホ
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2006/07
- メディア: 単行本
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と、「告知板としま」に出てました。
ところで、それに関してのコメントが「マイ・ファースト・挫折」だったが「24歳当時までの自分の持ち物がぎゅっと詰まっていて…形になってよかったと思った」というようなもので、わたくしとしては、大変びっくりしました(下に引用。上手く縮められないくて引用と地の文の比率がおかしくなってますが…)。
でも、単行本があまりさばけなかったのは、イマドキの本にしては装丁が地味だから、というのもあるんじゃないか。
いま表示された画像見ると、内容に比べてアピールが足りてない!感じがするんだ。
読んだときは、胸をえぐられたような気分になった覚えがあるから。
ぼくにとっては「あの本」という感じなのです。
登場人物は、『檸檬のころ (幻冬舎文庫)』『底辺女子高生 (幻冬舎文庫)』が主に高校生だったのに対して、その次のステップに入る。「大人」になりかかっている。じぶんで生きていく道みたいなものを、もうある程度見つけて生活している人たち。
十代後半の自分自身や、友だちとどう折り合いをつけていくのか。
それを、ある面ではとてもシリアスというか、ほんとうにバッサリと切っている。
で、当時のぼく(21歳)は、その、容赦のなさに、読んでてぼっこぼこな気分になったわけです。
ああ、生きていくってこういうことだよな、と。
そして、これは、作者自身に、なんとしてでも前に進むというすさまじい覚悟があって、その反映なのだとも感じた。
ところで、そんな感想をリアルタイムにどっかに書いた気がするのですが、ここを検索したのですが。ない。で、iCal見たら「豊島ミホ/エバーグリーン」は2007年7月20日付けでした。それは、はてダにはのってるわけない。当時は、まだはてな使ってなかった。
てか、そんな前だったのか。
ちょっとmixiひっくり返してきます…。あった。日記に書いてた。
「私はシン君にたいしたことないって見抜かれたら五秒以内に舌噛んで死ぬっ」
(豊島ミホ『エバーグリーン』p.50)
どまんなかだよ!
どまんなかすぎるよ!!
もはや、どまんなかすぎて暴力だよ。
ズキューン!!!
…っんっんっん(余韻)。
- -
あのさ、無理やり切って、
どまんなか
だよ。どまんなか
すぎるよ。もはや、
どまんなかすぎ
て暴力だよ。
て書くと七五調っぽいよね。いや、妙に中途半端にリズムがいいと思ったんだわ(どうでもいい)。
あと、そういえばズキューンとキュンキュンって微妙に近くない?(しつこい)
だそうです。くだらなくてすみません…。
しょ、書店さんの規模によっては「その他文庫」の棚になっているかもしれない……
でももし平積まれていたら、絶対目を引くはずです。
大好きな漫画家さんに表紙をお願いしたから!
きゃー。きゃー。
実は、私もまだ見てないんですけどね。
この目で見るまでは信じられないので(笑)、多分発売日以降に改めて自慢します。
今日は内容紹介をさせていただきます〜。
* * *
単行本版の時にあらすじ書いてあれば楽だな〜と思ったんですが、
過去ログ見てもまったく書いてありませんでした。
ミュージシャン志望の少年と、漫画家志望の少女が、
10年後に夢を叶えてまた会おう、と中学の卒業式に約束をする。
月日が流れ、それぞれの世界で10年間を生きていたふたりは
そばに迫った「約束の日」を前に、いろんなことを思い行動し始める……と、だいたいこんなお話です。
中学生編に始まりますが、着地点は二十五歳です。
長い長い青春の話、かつ、青春のおわりの話、とも言えましょう。
男の子と女の子、ふたりとも主人公、一人称交代制。
片方が夢をかなえて東京におり、片方は別の仕事をして田舎に生きています
(どっちがどっちかは本を読んで確かめていただきたい)。
なので、田舎と東京の話、でもあります。
単行本刊行時、著者インタビューがまったく入らなかった上、
今回の文庫化にあたって「あとがき」なども特に入れてませんので、
今ちょっと舞台裏を語ってしまいますと、
「男女が田舎と東京に割り振られる」「10年後の約束」までは
担当さんからのお題でした!(あと、「長編」「視点交代」という形式も縛りだった)
「……『木綿のハンカチーフ』みたいな?」と確認したら
「そうですそうです! 今言おうかと思ってました!」と言われたのを
なんかとってもよく憶えてます。
しかしこの本は、結構なんとも言われませんでした。
当時の行きつけの書店で、平台にどーんと積んで下さったのですが
これがまったく減りませんでした。
そして2ヶ月で、減らぬままそっくり返本されていきました。
マイ・ファースト・挫折……
凹みました。
夜の雨降るベランダで昔の夢を数え上げたりするくらい凹みました。
そして熱出してまで書いたこの本も、なんとなく恥ずかしいもののように
思うようになってしまった。
だって全部私の独り相撲じゃん、ばかみてえ、と思って。
だから実を言うと、刊行時通して1回読んだきりだったんです、私は
(まー書き下ろしだから作業上それまでに飽きるほど読んでる、
ってこともあるかもしれませんが)。
でもこうして文庫にしていただけることになって、ゲラで読み返したら、
書いてよかった〜……と心から思えました。
広く受け入れられはしなかったけれど、これに取り組めて、
ちゃんと最後まで書いて、それが本になっただけで十分すごいよと思った。
自分で言っちゃあだめなのかもしんないけど。でもほんとに
24歳当時までの自分の持ち物がぎゅっと詰まっていて
(もちろん記憶そのままではまったくないんだけど、
持ってるものがフィクションを通して入ってるという意味で)、
それを売るのがまあ「恥ずかしいことだっつーの!」と言う人はいるかもしれないけど
私は形になってよかったと思った。
いつも通り地味な部類に入る話なのですが、それでも。
なんだろ。ひとりで形にせずぼんやりとかかえていればいいものを
わざわざ人目にさらしてしまったというか。
人目にさらす、ということは、もう確実に、
他人の誤解や反発や完全否定を受けるということなわけで
(もちろん、共感や肯定を得る可能性もあれど、100人中100人が肯定する言葉なんてないのだし)。
絶対にそうされたくないものって、みんなあるんじゃないかなと思うのですよ。
わかりやすくいえば、汚されたくないもの。
今回、それを差し出してしまった気がするんです。
おなかをまんなかから切り裂いて、血や肉の奥の奥、
絶対不可侵の場所から取り出したものを
いちまいの白いハンカチにして、高い丘から飛ばす。
そんな感じ。
飛ばしてしまえば、あとは、それを受け取った人が
鼻をかむのに使おうが、大事にポケットにしまおうが、靴の裏で踏みつけようが、
私にはどうしようもないこと。
そう、だから……
話がまとまんなくなってきましたが……
私はもう、この白いハンカチが、どういう仕打ちを受けてもいいと思っていて、でも、
なかったことになるのだけはいやなんです。
『エバーグリーン』、本屋さんで見かけたら、
ぜひ手に取って、最初の数ページでも読んでみてください。お願いします。