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真正オタク、仮性オタク

いままでの自身の感覚から、オタクというのは、欲求を満たすことができないので、そのエネルギーの向かう方向をずらしてひねって着地させ、転嫁可能なところになんとか転嫁してきた人々、さらにはそれをやりすぎて元の地点がどこだったのかわかんなくなっちゃった人々なんだと漠然と思ってたんだけど。

しかし、そういう「仮性オタク」的なオタク像は、単におれがそうだというだけの根拠しかない。よく考えれば、心の底から、あるいは、運命的に、その道から離れられない真正のオタクだっているはずだ。

と全然関係なさそうな本を読んで思いました。

運命の女に気をつけろ

運命の女に気をつけろ

なぜかとうと、真正のオタクについて「心の底から、あるいは、運命的に、その道から離れられない」と書いたのは、この小説のヒロインは「ファムファタール(運命の女)」という役割になってるけど、この人は「演劇」そのものの魅力・求心力(あるいは魔力)とかを象徴してるのではないか。と深読みしたから。まあ、深すぎて、連想ゲームぐらいぶっ飛んでる気もしたんだけど…。

「のだめ」も、結局すべてが「音楽の魔力」で解決している、と、おれは思ってるんですが。というかあれはひたすら「音楽の魔力」を描いてるマンガだと思ってるので。

「魔力」が不適切だというならば「不思議な力」とか、あるいは単に「魅力」でもいいけどさ。というか、あらゆる意識的になされたこと(アート)は、どこかで、どうしてもクリエイティブになってしまう。そして、クリエイティブであれば、相応の「魔力」が宿るのではないか。ということが原点にあって、この文章、はそれを用語を変えて繰り返し説明してるだけだね。まあ、また書くかもしれない。個人的にいま注目してるキーワードがこんなんなので: 魔力、魂と神、言葉と意味など。

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