プログラマーになりたい。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

石川×服部『ノーザン・ラッシュ vol. 1 爬虫類』

文フリで買った石川美南×服部真理子『ノーザン・ラッシュ vol. 1 爬虫類』を読んだ。
16ページの小振りの小冊子だが、カバーや表紙、挿し絵などだいぶ凝ったつくりだ。ふたりの歌人が爬虫類カフェへ行ったレポートと、そのときのことを中心として、それぞれが詠んだ連作が納められている。

服部真理子「樹は夜も」

日の光、月の光と順に浴び亀はひと日を動かずにいた


僕たちの祖先と彼らの祖先が分岐した日の朝焼け思う

登場するのが亀だということもあるかもしれないが、人間よりも長い一生を悠然と過ごす姿がうかぶ。
後者はさらに長い長い時間を扱っている。
いずれも未知の光景なのにイメージできてしまうのが不思議だ。

鱗ある足や足でないものが僕とあなたの夢わたりゆく


天を衝くほどだったという古代樹を二人がかりで思い描けり


水の量測るすがたを見つめてる花はあなたに素足を見せて

石川美南「脱ぐと皮」

わたし変温動物だから灼熱の打ち明け話ほとほと不得手


てらてらと光てやまずわたしより先に脱皮した友だちが

わりと違和感なく読めてしまったが、爬虫類が主人公ってやっぱりちょっとおかしみがある。
恒温動物の打ち明け話はやっぱり熱いから、変温動物のトカゲかなにかが「おいおい、わたしに聞かせてくれるなよ」と愚痴ってるみたいで可笑しい。変温動物って鳴かないのも多いから、余計に愚痴を聞かされそうである。

心かつ踵かつかつハイヒール履けばこの世はいよいよ硬し

どうでもいいかもしれないけど、これはハイヒールを履いたことのある人の歌だなあ、と思った。いままでそういうこと考えたことなかった。けど、たしかに、あんなに底の硬いものを履いて、硬い「この世」を歩いたら、膝まで振動が響きそう。

面白い歌集でした。

PowerShot S120を買っちまった

Canon デジタルカメラ PowerShot S120(ブラック) F値1.8 広角24mm 光学5倍ズーム PSS120(BK)
(キヤノン:PowerShot S120|概要)
買っちまったよ……。中古だけどよ……。

たしかに、暗がりに強いです。

背面照射型CMOSで、コンデジにしては大きめの1/1.7型センサでございますので。
ISO800くらいから荒れ始めるのはちょっとダメな気もしますが、そこより高感度側にいっても大崩れはしない、というような感じ。ザラザラになるけど、色相方向にすごくずれた色が混ざるわけではない、みたい。
ただ、これは、僕の感覚がゆるい可能性もある。なにしろ一番長く使ったP社やR社のカメラがなぜか揃って高感度側がダメダメだったので。ちょっと暗いところでフォーカスが合うだけで感動してしまうのだ。

詳しくは下に夜撮った写真を貼りましたので、各画像を拡大してみてください。

あと、Wi-Fiは期待していたほど便利じゃなかったです。

まず、家のAP(Wi-Fiアクセスポイント)からだと外部のサーバにつながってくれないので、今のところほとんど意味がない。つながったとしても、すべて自動的に同期されるとかいうわけではなく普通に一枚ずつチェックして、アップロードするという感じ。
Eye-fi的なものを期待していたので肩すかしをくらった。
USBの線がWi-fiに置き換わった印象。そこから先、Flickrには自動で行くようにできるけど。未来っぽさ、あまりない。

ちなみにうちのAPだと、APには接続したように見え、「CANON iMAGE GATEWAY」のアイコンもしばらく表示されるのだが、失敗して「ネットワーク設定を確認してください」が表示される。フレッツ光だからかもしれない。
ためしにカメラ側で「手動」を選んでネットワーク設定したらできた。うちの環境だとゲートウェイDNSのどちらも「192.168.1.1」のはずなのでそのようにしたら動いた。

ところでほぼ同時にじつはRX100M2も買ってしまったんですが……
一体なにがしたかったんでしょう……。
そして、RX100M2を意地でも使いこなすとかいう誓いをたててしまって、S120はその後花火以外撮っていません。

ISO感度順に並べてみました。


(ISO 125)


(ISO 200)


(ISO 320)


(ISO 400)

続きを読む

『本郷短歌』第3号の感想と言い訳

こないだの文フリで買った『本郷短歌』第3号を読んだ。


僕はふだんから短歌を読まない人間なので、この短歌について僕が書いたものを公開するのもどうなのかなとは思ってたんですが、よくわからないなりに感想を書けば、もしかしたら「本郷短歌」の知名度向上だとかに役に立ったりするかもしれないかも(そうであって欲しいな)と思って、公開することにしました。
とはいえ、特に短歌のパートは、解読できなかった歌も少なくなく、連作全体を見通した総合的な感想を述べられない作品もありました。また、感想がピント外れのところもあるかもしれなません。笑ってゆるしていただけるとありがたいです。


感想を文章として書こうとすると、何も言わないっていうわけにもいかないので、理解できない歌とどう対峙するのかというのは本当に難しい問題で、「分からないけど何かすごそう」と思考停止してしまいそうになる。


そこで、行き当たりばったりだけど、「分かった気がしてすごい」ものと、「分からないけどなんかイメージされるものがすごい」ものについては、「すごい」と書くことにした。


本誌は東大の本郷短歌会の機関誌で、年度末ごとに発行されているそうで、本号は短歌の連作(延べ15人分)、行事のレポート、評論(特集:ジェンダー)、前号(第2号)に載った作品のレビューなどで構成されている。


短歌連作については自信がないので後にまわし、さきに評論について書く。


(実はいま目次を見直したら、前号の講評の前にふたつも見逃していた文章があって愕然としている。寺山修二と稲葉京子についての文章だ。でももう頭が限界なので勘弁してください。後日余裕ができたら書きます。ほんとうにごめんなさい。)

特集:ジェンダー ——身体・こころ・言葉——

宝珠山陽太「〈母性〉の圧力とその表現」においては大口玲子『トリサンナイタ』と俵万智『プーさんの鼻』というふたつの育児や出産を扱った歌集をとりあげ、これらの作品中にみられる「〈母性〉の圧力」についての表現を検討し、さらに、それがこれらの作品中に意識的に表現されたものであることを示し、これら2作品は本質的には同じ問題を扱っていて表裏一体であることを明らかにしている。
吉田瑞季「開かれた『私』 現代短歌における作者の位置」は短歌に描かれた主人公像である「私」と作者である「私」の位置関係の変遷を、時代を大きく3つに分けて分析したものだ。
服部恵典「『歌人』という男」では、この特集のテーマである「ジェンダー」に真正面からとりくんでいる。過去10年分(10回分)の短歌雑誌の新人賞の講評を調査し、そこで「女性性」や「女性」がどのように扱われてきたかを、サンプル数は少ないものの定量的に明らかにした。また、さらに、そのような扱い方による弊害も指摘している。
また、特集の末尾には関連する文献を解説つきで紹介していて、親切設計である。


「〈母性〉の圧力」は現場リポートという感じがした。『トリサンナイタ』が「歌集全体の構築性が、読者の眼前に一つの母子の関係をつきつけている」として、その実例を示している
また、『トリサンナイタ』と『プーさんの鼻』の違い(ネガティブ/ポジティブ)は歌人本人の「パーソナリティの違いといった問題に帰着できるものではな」く、「どう取り組むべきかという歌人としての意識」の問題だという点は、吉田の「開かれた『私』」でさらに検討される。


「開かれた『私』」は、「アララギ自然主義」とそれに避けがたく付随する「二重の嘘」(「作者の体験した諸事実に即して作るもので……読むときにもそのつもりで読む」)を脱したつもりでいる現代の短歌表現がなお、説得力を持たせるために「真実」を「実感」に読み変えただけの「二重の規範」に縛られているのではないかという疑問を投げかけている。
本特集のテーマである「ジェンダー」に関していえば、「実感」の中にはジェンダーやその他あらゆる作者の属性を反映した表現が含まれることを考えると、「二重の規範」から解放されることは、ジェンダー等の属性を反映した作品づくり・読みとりを強いられることからの解放につながる。「私が誰か」ということに縛られている、ということに自覚的になるべきではないか。(という風に僕は読んだ。)


「『歌人』という男」と「開かれた『私』」は縦糸と横糸という感じで、よくできたチームプレイだと思う。はじめに「開かれた『私』」を読んだときは、「で、ジェンダーがどうしたんだっけ?」という感じであったが、「『歌人』という男」と併せて読むと、相乗効果で「私」の位置関係がより立体的に見通せるようになるのだった。


「『歌人』という男」は定量的なデータと定性的なデータをうまく組み合わせていて、その過程は痛快と言いたいくらいだ。
大ざっぱに言うと、新人賞のなかで「女性的」な歌人がどういう風に弁別され、「女性」だと決められるとどういう扱いを受けるのかということを示している。また、「男性的」とされた作品よりも、「女性的」とされた作品の方が圧倒的に多いことなどから、「『歌人』はふつう『男性』」だと認識されていることも明らかになる。
ジェンダー論の立場からみると本記事の議論は「基本的な考え方であり、新しさはない」ということで、(そういうニュアンスで言ったんじゃないと言われそうだけど)たしかに各トピックをあまり深追いしていない印象もあるが、文章量と内容のバランスがよく読みやすかった。

続きを読む

第18回文フリに行ってきた

第18回文学フリマが5月5日、品川区東京流通センターで開催されました。


僕は15時到着と、だいぶ遅くなっちゃって、終了までのの2時間でばーっと、なんとか全部回ったという感じだった。そういうわけで、とくに誰かにご挨拶ということもなく。じつはネット上でフォローしている方が、3組ぐらいおられたのだけれど、顔バレしてるアキティベのブースに「どうもー」って短く挨拶して、あとのブースでは手短に購入だけさせていただいて、ご挨拶は遠慮させていただきました。どうも申し訳ないです。
みなさんなぜか客あしらいが丁寧で、すごいです。ありがとうございました。


事前に印をつけたブースを直線的に回っただけで終わっちゃった。回りをキョロキョロする時間的余裕がなかったのはちょっと良くなかった。たとえば10カ所程度買って他には全く興味がないとかいうのでないかぎり、あんな時間から行くものではないなー。


途中、財布が空になったので建物内の変なところにある、ゆうちょATMへ。まあ、いま数えたらフリーペーパーなどを除いても50冊以上買ったらしくって(無料だか有料だったか思い出せないものがあるので誤差があるが)、そりゃあ何の準備もしてなかったら財布も空になるわ……って感じ。
それにしてもなんで、同人誌とかフリマって金銭感覚がおぼつかなくなるのだろうか……。


前回行った文フリって、蒲田の大田区産業プラザPiOでやったやつで(09年5月の第八回: 文学フリマに行ったのだ - nikki-da)、なんと、もう5年も前なのであった(!)。
それと比べると、今回は倍くらいの広さに、倍くらいのサークルが入ってたわけで、もっとのどかで、サッと全部見て回れるイメージだったからびっくりした。隔世の感がある、というやつだ。
じつは前夜に嫌な予感がして、めずらしく一夜漬けで全サークルをチェックして、当日のぞきに行くサークルを70カ所まで絞り込んでおいたのです。(コミケでもコミティアでもやんなかったのに。) それでもまだ多すぎると思うのだが(主に金銭面で)、現地で全600以上のサークルをチェックするよりはぜんぜんマシである。フロアマップに丸つけておいて本当によかった。


ところで、なぜか位置表示(「A-01」みたいなやつ)を確認できるところ(張り紙とか)が少なくて、最初のうち、ちょっと慌てた。「A、B、C…ア、イ、ウ…」はまだ覚えればいいわけだけど、特に数字部分はブースの看板にはめったに書いてないので、端の方から歩きながら「いち、にー、さん、し……」って数えるしかないと思う(あるいは僕が気づいてないだけで、みなさんはもっとスマートな方法をご存知だったりして……)。いや、でも、まあ要はあせって回る方が悪いのです……。


じつはこの記事書くにあたって、戦利品を自慢しようと思って、著者・タイトルのリストを作ったんだけど、まだ表紙しか見てないようなのも結構あり、そういう状態で紹介するのはどうだろうと思えてきたので、載せるのやめておきます。
それにしても判型別に区分けしつつ、表紙や奥付にある発行元や著者名を一冊一冊ながめていくと、世の中には僕の知らない作家がこんなにたくさんいるんだな……と厳粛というような境地に達してしまったのです。僕自身がストーリーを作るのが苦手だからかもしれないですが、みんながみんな、全然別なものを書いてるわけで。上手く説明できませんが。

メンヘラって言葉はいつのまにこんなにポピュラーになったんだろうか。

ふと思ったんだけど、メンヘラって数年前なら精神病患者の中でも、さらにネット中毒気味のひとくらいしか知らなかった言葉だったと思うんですよね。つまりネットでも「メンヘラ」って書いたところで何のことかわからない人の方が多かったのではないか。もともとは「2ちゃんねるメンタルヘルス板の住人」みたいな極めてローカルな意味だったらしい。
それにしても驚いたのは、先日の「メンヘラ神」氏の一件。みんな「メンヘラ」がなんのことか分かっていて疑問に思わないらしいのだ(もしかしたらググった人はいたかもしれないが、疑問をtweetにしている例は見てない)。まあ標本に偏りがありまくりだけれども。知名度が徐々に上がってるらしいとは、twitterをながめていて漠然と感じていたが、ここまでとはね。

ところで、「メンヘラ」という語には3つくらい意味があると思う。

  1. (古典的)メンタルヘルス板の(しばしば精神病っぽい)住人(僕はよく知らない)
  2. ネット親和的だけど、2ちゃんねるよりもブログなどで活動し、リストカット痕の写真を公開したり、不定愁訴や、ODしたことを報告したりする。詩的(または厨二病的)に表現した嘆きを書いてみたりする傾向がある
  3. メンタルヘルス系の患者っぽい人(境界性人格障害(ボーダー)、気分障害(うつ、双極II)、神経症などが多いイメージ)

全体的に推測だけど、だいたいこんな感じだと思う。正確なところはググってください。歴史的に上から下へ推移している感じで、ありがちだけど、広まるにつれてどんどん薄くライトなイメージになってる。だいたい、元々は自嘲としてか軽蔑的に使われていた気がするのだけど、そのニュアンスも最近はなかったりする。そのうち、「エッチ」みたいに新語辞典にのったりするのかしら。

興味深いのは、いまでも統合失調症など特有の妄想を発信するような人は区別しているように見えることだ。「電波」っていったりするわけで。意思疎通の問題なのかなと思うけど。

僕自身は僕自身に「メンヘラ」って言葉を使う時があるけど、僕の中ではいまだに2の意味の印象が一番強いので、自分が2のような行動をとってしまったとき「メンヘラっぽいことをしてしまった」というふうに使うことが多い。

それにしても、久しぶりのブログ更新なのに、いきなりなんてことを書いているんだって感じで、申し訳ない。毎日ブログ更新している人を見て、ふと更新してみようかなと思い立ったはいいけど、なんかこんなのしか思いつかなかった。慣れって大切ですね(むかしは頼まれてもいないのにmixiの日記を毎日何本も書いていたのに)。

穴を掘る、池を作る

 はい、みなさんこんにちは。

 だまん(@FLASH1N)です。

 本日は FuniSaya Advent Calendar 2013 20日目です。

 昨日は Yoshiharu Aniki さんの「The Resurrection.」でした。

 

 ああ、それにしてもなんでアドベントカレンダーにうっかり今年も参加してしまったのか!責任者を出せ!!

 最近プログラミングしてないから、なーんもアウトプットしてなくて、ネタがないのに。というか、楽器とか絵とかできなくて、プログラムくらいしか趣味もないのに。

 

 アドベントカレンダーの締め切りの近づいてきたここ数日間、締め切りのことを思い出すだけで心臓バクバク、もはやどうすればいいのかわからない。そこで、そんな混乱状態のなかで、

「もうこうなったら穴を掘るしかない」

と決意し、庭に穴を掘ったことを書きます。

(もはやDTMとも、CGとも、プログラムとも、コンピュータとも、音楽とも、絵とも、詩とも何の関係がない……。というか去年もなかったけど、音速で離脱していっている気がする……。)

 

before

 厳密にいうと10月ごろから、来春にハスかスイレンを植えたいなと思って、ちまちま掘ってたんですが、締め切りに間に合いそうなサイズの穴で完成とすることにしました。

 

 掘り始めたところ。初期状態に写真を撮っておくのを忘れた。こんなところを掘った。

f:id:flashingwind:20131031103915j:plain

*使用した道具

使用した道具は

  • シャベル、
  • 片手備中くわ(カマくらいの小さいやつ)、
  • ブリキのバケツ、
  • 汚れてもよい靴、ズボン、上着。

たぶん本来の大きい「備中くわ」か、「つるはし」があるとよいのだろうが、家にあるもので済ませてしまった。

f:id:flashingwind:20131121142456j:plain

掘削

 石ころとか砂利とかあとなぜか建築物の破片が多い地面なので、スコップだけでは掘れません。くわのようなもので、一度砕き、柔らかくなった土をスコップで運び出すのです。

 世の中には穴掘りが得意な人たちというのがいて、ものの本によると、息を切らさず、平常心で長い時間掘り続けることがコツなのだそうだけど、僕には無理でした。掘り始めてしばらくすると、

「なんで俺は穴なんか掘っているんだろう……。はあ、死にてえ……。」

というモードになるので、1度目はまあ我慢するんだけど、2度目が来ると止めてしまう。おかげで、ちょびちょびとしか掘れない。こんなちっさい穴、いくら週末しかやってないからとか、石だらけだからとかいっても、ふつうは2ヶ月もかからないと思う。

 

ビニールシート

 最後に、掘った部分をレンガたたいたり、靴で踏んだりしてからブルーシートを掛ける。端を石で押さえて、その上から土をかける予定。

f:id:flashingwind:20131207083310j:plain

 縮尺がわかるものを一緒に写真に撮るべきでしたね。

 このブルーシートが平面に敷くと6畳(260×360cm)サイズです。穴のサイズは長いところが2mくらい、短いところが1mくらい。水深はいい加減にしか計ってないが、25〜30cm程度。

 無造作に掘りやすいところだけ掘ったので、変なスロープがあったりして水を入れてみないとどういう形になるのか僕にもわかりません。真面目な人はここで注水して池の形を見て、また抜いて調整するそうだけど、僕は真面目さが足りないのでやらなかった。

 

 で、このまま水の入らないところは土をかけて隠し、水を入れてしまえば完成。土を水に入れると水がにごるため、土は水に入らないようにする。ところがそうすると、ブルーシートが丸見えで、いくらなんでも寂しいので、粘土を貼った。

 

ベントナイト猫砂

 ベントナイト猫砂に、ひたひたになる程度の水を吸水させてから軽く練ったものを使用した。これを泥団子状に丸めたものをいくつもつくり、手のひらでブルーシートの表面に押し付けて広げてはりつけ、ブルーシートが見えないようにする。

新東北化学工業 スーパーDC 8Lを3袋買ってきたが、足りなくなってしまった。

あと2〜3袋必要っぽい。

ためしにそのままやってみた箇所。乾燥するとだめになるみたいなので、乾燥はさせない。

f:id:flashingwind:20131207152750j:plain

 

しかし、思っていたより色が悪い。そこで、ここに土を混ぜて着色することにした。

f:id:flashingwind:20131217162007j:plain

f:id:flashingwind:20131217162017j:plain

 スイレンやハスを植えるのに使う、荒木田土(あらきだつち)を用意してあったので、これを適当に見た目でベントナイト猫砂の1/3くらい混ぜた。両者をよく混合してから水をかけるか、荒木田土を完全に泥水様に溶かしてから猫砂を加えると練らずに済んで楽である。

 荒木田土だけでもいいのだけど、ウチの周りでは入手性が悪い。また、手元の実験ではベントナイト猫砂の方が水に溶出しにくく、乾燥してひび割れるまでの時間が(たぶん)長いようだ。

  手順としては以上で完成する、はず。 

 ところで、手順を書くと、だんだん「だ・である」調になるのは、もう8年くらい書いてないのに高専の実験実習レポートの癖が抜けないからですね。後から直せばいいんだけどそれもめんどうで。読みにくくてすみません。

 

(TODO: ここに完成した池の写真をおく。)

 と、2日前に書いたら、東京はきのうから雨が降りました。

f:id:flashingwind:20131220121444j:plain

 図らずも水が溜まってしまったので、完成時の予想される水面の形がわかるようになりました。が、粘土関係の作業は進まず。

完成させたかったなぁ……。(すみません。)

 明日はTokiwo Ousakaさんによる「法事なので忌日表作ります - Creatable a => a -> IO b」です。

参考文献

ビオトープづくり実践帳―設計から施工、メンテナンスまでがひと目でわかる

ビオトープづくり実践帳―設計から施工、メンテナンスまでがひと目でわかる

 

 

小さなビオトープガーデン―庭やベランダで水辺の花と生き物を楽しむ! (セレクトBOOKS)

小さなビオトープガーデン―庭やベランダで水辺の花と生き物を楽しむ! (セレクトBOOKS)

 

 両極端なので、両方併せて読むと面白い。

追記

 あと、猫砂はあんまり当初の期待に応えてくれなくて、水を吸ってぶよぶよのペースト状になっちゃうし、乾けばひび割れてしまう。なので、もっと荒木田土ばかりのほうがいいかもしれません。

 

追記2

 やっぱり、土:ベントナイト=5:1(容積比)がいいという情報が。もっともっと荒木田土ばかりのほうがいいらしい。配合比率が完全に逆でした。だから水を吸ったときぶよぶよになってしまったのでしょう。

ビオトープ用」の正しいのベントナイトの買い方・使い方指南を発見しました。:

家庭での混合、使用の目安 → 土:ベントナイト=5:1(容積比)の混合土を厚さ15cm以上で締め固める。

(土へのベントナイトの添加量は土質により変化します。) 

 上記では土:ベントナイト=1:3くらいにしちゃったのが悪かったのかもしれないです。

 また、このサイトで、池作りに使うようなきちんとしたベントナイトやゴムシートなどが、現実的な分量で買えます。

Creative Commons License ©2007-2021 IIDA Munenori.