だまんです。

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マスクの効果と、南京事件の規模

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ある種の「虐殺少数派」が歴史修正主義者と呼ばれる理由はその姿勢にあります。口先で「誠実」を装おうとも、その姿勢*1から『「大虐殺」を否定することで事件を否定したい』という本音が透けている

(これ引用部分なのでほんとは元の記事から引くべきなのでしょうが。)
おーなんかピンポイントでつぼにはまった。


ただ、ぼくは一方で、なんで「否定したい」というモチベーションが湧くのかが気になる。
いや単純に「否定したい」だけなら、じぶんのアイデンティティーを、じぶんひとりの力で支えられないという危機感に従って、半ば無意識に「国は潔白だ=「自虐」はばかだ=おれは本当はもっとえらい」とか「国がえらい=おれはえらい」みたいなすり替えをしてしまっていると考えられるが。
しかしこれだけでは、その考えを「声高にさけぶ」ということの説明になってない気がする。


そこへ、このたび新型インフルではマスクにまつわる騒動があったわけですが。マスク装着率の高さへの揶揄をみていたら、揶揄することで、なんかそこから優越感みたいなものを得ようとしているようにみえた。なるほどと思った。
「わたしは、『本当のこと』を知っている(だからすごい)」
みたいなモチベーションか。
この際、あたりまえですが、一般的に認められている/知られている理論を主張しても、知識的に優位に立つ気分は味わえない。その際、「斬新な」(=トンデモな)理論に価値がでてくるのか。


ま、いずれにせよ幼稚な姿勢であることには変わりないのだが。


「マスク否定派」と「歴史修正主義」が同じ人たちだとかいうつもりはない。
ちなみに無症状のひとがマスクをする意味は、ほぼないだろうというのは、どうも確からしい。しかしそれでも
「マスクには全く効果がない」
とか無邪気に言いきる人たちには、何か違和感がある。上記の引用を借りるなら「姿勢」の問題というか。
どうも、それをいうことで自分の頭の良さとか、自己顕示欲をみたしてるきがする。


というかですね、もし、そのような言説に乗ってマスクをしなかった人が感染しているかもしれないという考えはないのか。せきやくしゃみによる飛沫を防ぐ意味ではためにマスクは有効だとされています。症状が出たらマスクをしましょうというのを「せきエチケット」とかいうらしいですが。


ああ、ねむきて文章がまとまらない…。


えーと、とりあえずだな、ちょっとおちつけよ。

  • アジアでの日本の優位性がなくなったって、べつに死なないよ。
  • 危機感を煽られてマスクがバカ売れしても、くすりやさんがちょっと儲かるだけだ。

あと

  • 他人をおとしめることで、しょぼい自分から目をそらすのは、まったく建設的でない。


やたらとマスクを着用することと、やたらと中国や韓国を恐れおとしめるのは、無意味さではどっちもどっちだ。むしろマスクは人を殺傷しないだけ、武力による防衛とかよりぜんぜんましだ。
ほんと、もうちょっと落ち着いて考えようぜ。


あー。ばかばかしくなってきた。ねる。

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