気分がわるい。じっとしているのがなんとなく不快で、不愉快。ここにいるのが苦痛。これは、ある意味では典型的な気分で、これを「憂鬱」というのだと思う。これまで20mgとしていたパキシルの投薬量を、10・10・20から、10・20と、10mgにするために段階的に減らしているので、想定されていたことではある。
効いているのは確かなんだけど、治っているかというと微妙で、ただ、低め安定というある意味であっても、医者に「特にない」と報告し続けると、「では、そろそろ減薬しましょう」ということになるのである。
しかし、こういう冷えきっているような時でも、脳というのは不思議で、考えようとする。
脳は考えるのがほんとうに好きなのだ。陰圧をかけて快楽を絞り出すようなしくみをつくってまで、なにかを思考しつづけようとする。
じぶんでインセンティブを作り出して、強化学習する。過程自体をつくりだしてまで、動き続けようとする(こういうのも自己組織化というのだろうか)。普通、逆だと思うのだけど。
思考し続けるのは、意思というよりは構造によるのだと感じる。
ただ、こういう不愉快な気分を伴う強化の過程はあまり好ましくない。
破滅衝動のようなもので、どのような思考も悲観的になる。しかも、つづければどんどん強化され、ともかく持続するだけ悪化する。
もっとも、無意識に動き出してしまうこのような過程に、はじめは気づかないうちに巻き込まれてしまうだろうが、こういう過程さえも慣れると「脳内の雰囲気」みたいなものとして意識できるようになるようだ。
だんだん顔なじみのようになって、意識して思考をゆっくりにすればいいとわかってくる。
物理的には呼吸を意識したりして、そらすだけなのだけど。それもだんだん、イメージするだけでコントロールできるようになったりする。
主体と客体が、混じるのでこういう妙な感じの説明になるのだけど。
こういうふうに何かを書いて、意識を、不愉快な気分からそらし、時間をかせぐのもひとつの方法なのだ。