こんなことになっているとは!
元になっているネタは第3回日本ケータイ小説大賞:あたし彼女(kiki著)。
- 理系男子の書斎には、どうしても小説が少ない。っていうか無い。 - ファック文芸部
- 人工無能でケータイ小説:あたしマルコフ by yamagata21
何がすごいって、「「あたし彼女」は、オートマトンを用いて記述された文字系列」というジョークが、ジョークにみえないことである。
「あたし彼女」は、オートマトンを用いて記述された文字系列としては異例の反響を呼び、莫大な商業価値を産み、文学界に大きな衝撃を走らせるに至った。これを、猿がシェークスピアを打ち出した奇跡に立ち会ったと捉えるか、機械に精神が内在した瞬間に立ち会ったと捉えるかはその人次第である。
もしくは、読む人、人々が、人でなくなった瞬間に立ち会っているのかもしれない。
状態遷移表に記録する際に用いる意味を構成する単位となる句、節を区切る記号を、そのまま改行として出力することが、文章自動生成の業界にパラダイムシフトを引き起こしたことは疑いの余地がなく、機械が認識をし、生成することが難しいといわれている「間」「余韻」「行間」を出力するこの手法は今後さまざまな分野で応用が期待される。
要因
ここで、この奇跡的事件の要因を考えてみたい。
そもそもグラフの構造を見て分かるように、まず、原作の構造、とくに設定と文体が、非常に高度に抽象化され、純化されていることが挙げられる。ベートーベン交響曲第7番を「舞踏の聖化」だとワーグナーは言ったらしいが、ここでいう単純化をこれになぞらえれば「文法の聖化」あるいは「文脈の聖化」である。そして、その構造に直感的に気づき、いちはやくオートマトンでの表現ができることが示されてしまったことは、最も重要で、決定的な事件だった。この驚異的な偶然によるコラボレーションが、「奇跡」を生んだと考えられる。
インパクト
しかい、この「奇跡」はある意味で、すべてが現象そのものであっって、解析的記述が不足しているのは事実である。上記の引用の後半に辛うじて言及されているが、しかしあいまいである。現在この因果関係のすごさについて言及したのはスラッシュドットおけるコメントのみのようだ。
形式言語だったんだね。 (スコア:0)
Anonymous Coward : 2008年12月21日 12:46 (#1477695)
「あたし彼女」はType2文法の言語で記述されている事が証明されたって事か・・・。
しかし、潜在的なインパクトはこんなものではないはずだ。
- 少なくとも新書1冊以上はでっちあげられる
- 膨らませればノーム・チョムスキーの功績の1発分ぐらいに匹敵するかも
と感じた。
日本語の可能性、日本語で思考することとはどういうことか、日本語で表現することとは何か。あるいは言語の壁を越え、文法を使って表現することの枠組み自体を揺るがす大事件なのかもしれない。
いまだ、私には全貌が見えていない。
あまりの興奮にまともな考察ができないのが残念だが、まずはここまでで勘弁していただきたい。