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日本というネーション

松岡正剛/日本という方法—おもかげ・うつろいの文化

前半は、ヨーロッパの範囲が主にイスラム社会との関係性において決定されていった(トゥール・ポワティエ間の戦いしか覚えてないけど)ように、「日本」という用語で扱われる範囲が歴史的にどのように決まっていったか、さらにその過程、とその余波が日本内部で、文化的・政治的にどのような影響を持ち、日本人はどのように受け止めたかを解説するものだ。
ここではまだ日本というのは「わたしたち」というより、対象として語られている。
これだけでも、一本調子に、予定調和だったかのように歴史を教えられた人間としては、だいぶおどろくものではある。というか、日本が「日本」というかたまりになる必然性は、あまりないらしいということだから。ボーダーを決めるのは、基本的に、外圧と内圧の関係だけらしい。


つづく後半では、江戸以降、本居宣長の思想、西田幾太郎の哲学から各種の文化的な成果、時代背景と政治の歴史なども扱い、最後は司馬遼太郎も紹介される。それにしてもとてつもない振り返り方であり、それによって、なんだか「失われた十年」などという言い方がばかばかしくなるくらいの幾度もの、活動や思想の勃興と挫折が提示されるのである。
それは、宣長の没後、外圧にたじたじになってしまってそれどころじゃなくなっちゃったこと。維新後もどうもそれを引きずり続け、島崎藤村『夜明け前』に「或るおおもと」という言葉で描かれた、「『或るおおもと』がはたして日本が必要とした「歴史の本質」だったのか」、「王政復古とは何か」というような問いが、国のレベルでしっかり検討されなかったこと。そればかりか、いつのまにか「脱亜入欧」というのがあたりまえになってしまうこと。などだ。
また、司馬遼太郎は明治の体制が頂点だと考えていたという。したがって、大正以降は、それが、ずたずたにされていく過程として見えた。これも挫折だ。


ところで、この本を読みながら考えていたのは、この本は一体なんなんだろうということだった。
一体、歴史書なのか、思想書なのか、文化論のようなものか。一応サブタイトルは「おもかげ・うつろいの文化」であるが、文化を語って何かべつのものを言いたいようなのだ。明らかに「紹介」ではない。さらには文化を紹介するだけなら「わたしたち」のものとしてする必要などない。
しかしこの「日本という方法」、「方法の日本」というような言い方は、なぜ考えられたのかと考えると、ここに「日本」という名前が出てくるのは、ナショナリズムみたいなものへの指向があるからではないかと思う。そう、読んでいて気づいた。
つまり「日本は…」「日本を…」という言い方をしようとして、彼は挫折したのではないか。疎外感みたいなものも感じたかもしれない。
「挫折」というと「そこで終了」のようだけど。そうではなくて、おそらくアイデンティティーみたいなもの、日本といったときにそれが何を指すのかを深く深く考え込んでしまったのだろう。という意味だ。
「日本とは何か」。
そして、本書のタイトルは『日本という方法』だ。つまり、これは、日本とは方法の国だという視点の提案、宣言なのである。
本文最終ページにはこうある。
「ずいぶん暗示的な最終行になりましたが、それが本書を世に伝えのこすための私の編集方法だったと思ってください。日本自身が日本を実感するための方法だと思ってください。」
ナショナリズムというと、どうも変な風に聞こえるらしいけど、批判してるつもりはない。「日本を実感」したいというのは、つまりネーションの確認だから、という意味でのナショナリズムへの指向。
いま、多くの「日本人」が日本人だと思いつつその「日本」という語に対してうすっぺらい、ぼんやりとしたイメージしか抱けいないのではないか。それに悩んでいるようなまじめな人には、おすすめの1冊である。


ところで島崎藤村に関する記述はWebに公開されたものがあり、こちらのが詳しい部分もあるので引用しておく。

しかし藤村がしたことは、そうではなかったのだ。『夜明け前』全編を通して、日本人のすべてに「或るおおもと」を問うたのである。その「或るおおもと」がはたして日本が必要とした「歴史の本質」だったのかどうか、そこを描いたのだ。
それを一言でいえば、いったい「王政復古」とは何なのかということだ。いま、このことに答えられる日本人はおそらく何人もいないとおもわれるのだが、当時は、そのことをどのように議論してよいかさえ、わからなかった。


藤村がこれを書いたときのことをいえば、「中央公論」に『夜明け前』の連載が始まったのが昭和4年、藤村が最晩年の56歳のときだった。つまり、いまのぼくの歳だった。
昭和4年は前の年の金融恐慌につづいて満州某重大事件がおき、翌年には金輸出解禁に踏みきらざるをえなくなった年、すなわち日本がふたたび大混乱に突入していった年である。ニューヨークでは世界大恐慌が始まった。
そういうときに、藤村は王政復古を選んだ歴史の本質とは何なのかと、問うた。しかもその王政復古維新ののちに、歪みきったのだ。ただの西欧主義だったのである。むろんそれが悪いというわけではない。福沢諭吉が主張したように、「脱亜入欧」は国の悲願でもあった。しかしそれを推進した連中は、その直前までは「王政復古」を唱えていたわけである。何が歪んで、大政奉還が文明開化になったのか。
藤村はそのことを描いてみせた。それはわれわれが見捨ててきたか、それともギブアップしてしまった問題の正面きっての受容というものだった。

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