プログラマーになりたい。

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ハマることの魅力

ぼくはよく作家やエッセイストにハマる。
その「ハマった」ときというのは、もうある種の信仰みたいなもので、思考停止ではないけど、価値観を一時的に100%近くまですりあわせてしまう。「そうだそうだそのとおり。」って感じで。


これはっきりいって危険な状態だ。なぜならハマる相手を間違えたらじぶんが何をしでかすかわからないのだから。
しかし、とくにちょっと生き方とか哲学っぽい成分とかが含まれている場合、あたりまえだけど、我と彼の人生は別なのだから、最終的にはどこかで袂を分かつ必要がある。


ところで、人間とはよくできているもので、「飽きる」というすばらしい機能を持っている(しかも、おれは人一倍飽きっぽい)。だとすると、むしろ中途半端にずるずる中途半端な一体感をもったまま引きずられるよりも一度ばっちりハマって、飽きるときはばっちり飽きるほうが賢いのだと、思うようになった。


そうやって、相手を対象化したとたん、なまじよく読み込んでいる分、細部まで自分との考え方の違いなどが冷静に、厳密に見える。さっきまで偉大すぎて人間に見えなかった人物が、自分と同じ生きているただのヒトなのだと実感できた瞬間。これは面白い。また、一度価値観をすり合わせようとしたはず、なのにどうしても残った「自分」。自分の価値観の根っこの部分、譲れない部分がどういうものなのかがこの作業の副産物として浮き彫りになることもある。あるいはこの気持ちが離れる段階で自分の価値観が「ぐりっ(うぐっ)」と軋まず滑らかに、しかし次元が追加されるぐらいのショックとともにねじれる場合もある。あるいは、わけが分かっていないまま忘れかけていた単なる知識が、急に浮上してきて実感をともなってがん!と理解できたり。


こういうのって、もしかしてこれ非常にインスタントな「守・破・離」なのかもしれない。なんて、さすがにそんな短期間の話で「守・破・離」なんていったら「道」系の方々におこられるだろうけどさ。

でも、だからこそ、深く「ハマる」のはおもしろくてやめられないのだ。

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