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自分を憐れむ不健康さは耐え難いのだけど甘い

自分を憐れむよりは、セルフイメージと現実の状況のギャップに押しつぶされる方が、まだましな気がする。いずれにしても解決にはそれなりの勇気が必要だという点では同じだけど、卑しさがない分だけ。


憐れむスパイラルに入ると、もう緩慢に腐るしかないのではないか。
と、感じるのに、しばしば「自分を憐れんで」(自分に言い訳することを許して)いて、次の瞬間にそのことに自分で気づいてしまうことがあって、吐きそうになる。


以前からこの性格が「几帳面」とか典型的なメランコリー親和型とはちょっと違う気がしていて(やるなら几帳面にやろうとするけど、すぐいやになって結果は中途半端になるので)。どうも最近の流行りでは「ディスチミア親和型」というそうなんだけど(本当に、典型的なディスチミア親和型性格)。


でも一方では、はじめに書いたように、嫌悪感があるので自己愛にも徹底できないとこがある。自己を愛している自分は愛せないという自分は愛せるという自分は愛せないという自分は……みたいなループというか。


実際、わけのわからない不安定さがある。うつ的な症状が続いてる中でも、それが出る方向性が一定しない。なんとなく自虐的になってるときはメランコリー親和型っぽくみえるのかも。
これは一体なんだろうかと思ってたけど、そういう矛盾みたいなものが絡んでるということなのかな。

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