だまんです。

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国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う

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宣誓文

"I do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability to preserve, protect and defend the Constitution of the United States."

「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽して合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う(あるいは確約する)」。

と、憲法がなぜ「えらい」のかわからなくなっていた俺は、これを聞いてはっとした。これは合衆国憲法に規定されている宣誓文。
日本みたいに、憲法の前に天皇があるかのようなことを平気で言えてしまう「民主主義国家」のが、変なのだ。たとえそれが選択された経緯に不満があるとしても、制度上国民主権である日本国の、その国民であることをことさら強調する連中が、憲法に対して敬意を示さないことが多いのは、やはり、なにかいびつである。天皇を持ち上げるわりに、憲法に敬意を払わないというのは。体制は憲法の下にあるのだから。

オバマ第44代米大統領就任演説

以下は、就任演説から2カ所。柔軟だ。批判的に言えば、かなり玉虫色である。まあ、それだけ危機感を持っているともとれる。

今日、我々が問うているのは、政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、機能しているかどうかだ

市場が正しいか悪かも、我々にとっての問題ではない。富を生み出し、自由を拡大する市場の力は比肩するものがない。しかし、今回の金融危機は、注意深い監視がなされなければ、市場は制御不能になり、豊かな者のみを優遇する国は長く繁栄することはできないことを我々に気付かせた

で、結局のところ、具体的には「奉仕の精神」となる。もうそれぐらいしか手がないのも確かかもしれないけど、ある意味では、一番スマートな解決法だと感じる。

(遠くの砂漠や山々をパトロールしている兵士たちには)奉仕の精神があり、自分たち自身よりも偉大なものが存在し、それに意味を見いだすことができるからこそ、彼らに敬意を表す。そして、この歴史的な瞬間、こうした精神こそを我々がみな共有しなければいけない

新時代への責任だ。
これが我々の自信の源泉だ。神が、未知の運命を自らの手で形作るよう、我々に求めたものだ。
なぜ男性も女性も子供たちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ約60年前はレストランで差別された人々が、こうして宣誓式に立ち会うことができるのか。これこそが、自由の意味なのだ

我々に求められているのは、新しい責任の時代だ。米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえる。

これが市民の代償であり約束なのだ。
これが我々の自信の源——神が、我々に不確かな運命を形作るよう命じている知識なのだ。
これが我々の自由と信条の意味なのだ。
なぜ、あらゆる民族、信条の男女と子どもたちが、この偉大なモールの至る所で祝いを共にできるのか。そして、なぜ60年足らず前に地方の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか

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