プログラマーになりたい。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

つづくこと、たまったもの

初代MacBook黒のディスプレイは1280*800だし、可愛い女の子は画面にいないけど。そのかわり、こたつの上には栄太郎の煮豆(黒豆)の瓶詰めがあるし、ライ麦パンがあって、オープンサンドにして食べることができる。
そして、数時間後には友だちと秋葉原で待ち合わせて遊んでいるだろう。

私の生活にあるのは1920*1200のWUXGA液晶と、それに映し出される様々な髪の色をした女の子の絵だ。当然それらは意思を持たず、決まったセリフを喋り、決まった動作をする。エンターテイメント性はない。ニートが極まってぼっちが開始する。人生が閉塞して希望が崩落する。それにしても大河ちゃんは可愛いし、インデックスちゃんは可愛いし、茉莉花ちゃんは可愛いし、千秋ちゃんは可愛い。世界は彼女らを中心に回っており、神が人間を創るならば人間は少女を創造する。これが現代少女概論の起点である。


twitterでは、なにげなくざくざくフォローしてたら、なんだか周りにすごい人ばかりになってて時折その頭脳のクオリティに気後れするけれど。ときには高専の授業や趣味で使っていたような、本当にささいな泥臭いまめ知識が、意外とノウハウとしてそれなりの一般性をもって役に立ててもらえたりして、ああまあ、ぼくの頭も中身もわざわざ全消去するほどマイナスな価値のものでもないのだなと誇らしくなったりもする。


それはたとえばRインタプリタをATLASやGotoBLASなどの最適化されたBLASとリンクしてコンパイルするための、数行の知識だったり、あるいはpLaTeX界隈の事情だったり、頭の隅に辛うじて引っかかっているCCNAの講義の断片だったり。


ああでも、高2後期から高3前期にかけての一時期の、実習レポートをウェブにアップロードしていた
MOOMOO's MEMOs of PC - Reports and Studies
のだが、これをみるとpLaTeXgnuplotをいまでは信じられないくらい細かくこだわっていったりして、じぶんでいうのもなんだけど、すごい。もう、これは書けといわれても書けない。ただ、組版の質のわりに日本語がへぼくて、しかも後半に行くほどどんどん崩れていっているのは、徹夜の1夜漬けとかでやってたからまあ、そこは勘弁。
それにしても慣れというのはすごいな。やはり数年間、それなりの密度で継続すれば、大体のことはからだに染み付くらしい。忘れた忘れたといいつつも、当時白河夜船でやってた程度のことなら、いまでもいきなりTeXで書けといわれれば書ける。


ぼくが辛うじて生きる気になっているのは、ぼくにはクリエイティブな能力はないけれど、でもルーチンワークをワンクリック、ツークリックでこなすような能力は日常的な「くせ」になるまでつづければきちんと修得できるという信条があるからだ。この先、いまよりも優位性が重視されてしまう世の中になったとしても、たぶんニッチな優位性を趣味のように獲得しつつなんとか生きていけるだろうと思えるから。

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