- 作者: 機本伸司
- 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
- 発売日: 2006/05
- メディア: 文庫
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ただ、光子を駆使した物理学的世界観は、個人的にはイマイチだった。
SFに限らず、越えていい一線と、安易に越えちゃいけない一線があると思うのだけど。これはどうも越えちゃいけない方まで越えてしまっている気がする。直感的な話ばかりで申し訳ないんだけど、これは言いきりすぎではないか、と感じる部分があった。こういう場合この「安易に」かどうかが重要だと思うのだけど、それを言いきったからにはそれ相応の文学的決着をつけていただかないといけないだろうと。よくあるパターンでいうと「霊」とか「魔法」がある。このような仮定は多いな威力(破壊力)を持っている。だからこそ、それを(作中で)行使すると決めたからには、それなりの使い方をしないと、物語ごと吹き飛ばされてしまう。逆に、越えるなら「過程」あるいは「仮定」として、それは軽々と越えられるべきものだ。
この作品の場合、一応吹き飛ばされてはいないいものの、曖昧なままベクトルをずらして終わる感じがする。どうも、それはそれで個人的には消化不良なままできもちわるい。
それから、理論の構造以前に、あの「光子」という使い古された名前を使ったとこもがいけないんじゃないか。「光」の粒子性という新しい性質がわかったときだって、粒子として扱うときには「光子」と呼ぶようにわざわざ決めたわけですから、ここまで印象が異なると「光子」と呼ぶ方が変だ。
名前も重要だと思う。
なぜ、曖昧なままベクトルをずらす必要があったのか。たぶん答えは無いからだと思う。それはもうサイコロの目が出るのに理由が無いようなものであって、「神はサイコロを振らない」なんて言っている場合ではない。あと、量子論を受け入れるならば(というか普通は受け入れるので)、モンテカルロシミュレーションか、確率分布の演算かのどちらかになるはずだと思うんだけど、その辺がどうも忘れられてる気がした。これもそうだし、先に書いた「光子」が唯一の素粒子と考える考えもそうだけど、相対論に引っ張られすぎて、アインシュタインの時代の枠組みに制限されちゃったのではないかと感じる部分があって、それがちょっともったいない感じ。