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いま「軽やか」だからといって甘く見ない方がいいのではないか

知り合いに典型的な「軽やかな自殺企図」ってやつを何度かくり返しているやつがいる。最近は直接会ってなくて、彼女の家族を通して話を伝え聞いているだけだけど。自殺企図が「軽やか」で「衝動的」なので、やはり医者でも不定形じゃないか、といわれているらしい。ディスチミアなんだろう。
ディスチミアというのはストレス耐性がない人間が自己防衛のために「うつ」になるのかなと感じていたんだけど。実際、ネットにも、暗に本人の性格が問題なんだというニュアンスにとれる説明が多い。たとえば「他責的」とか「自己中心的」とか。


ただ、そいつのやってることを聞いていると、なんか意外と周りが見えているようなんだよね。ディスチミアってもっと性格要因が強いのかと思っていたんだけど、そうでもないらしい。
で、そういうふうに他人事として、話したり考えたりしたりしていると、従来型のうつ病(メランコリー)に伴う症状としての「ディスチミア」というのもあるんじゃないかと思えてきた。病前はメランコリー親和型の性格なのだけど、うつ状態うつ病になって、精神的な自制が弱ったために「甘ったれ」の性格が出ているだけだということ。
意外と、こういうタイプの人多いんじゃないか。メランコリーの随伴症状として「ディスチミア」になるというような人(メランコリーの随伴症状としてしか「ディスチミア」にならない人)。


ところで前に書いた日記では

おれの場合、入口はオーバーワークによるメランコリーっぽいのに、一旦うつモードに入ると突然ディスチミアっぽく、ふてくされた甘ったれ野郎(生ゴミ)になる

とか書いた。で、冒頭のやつの話をしてるときに、おれの上記の症状と似てるから…とか安易に考えていろいろ発言してしまったのだ。


でも、いまになって、じつはおれ自身、ちょっと理解が浅かったかもと思って、ひやっとしているのです。
そのとき、話をしてくれた彼女の家族に、危険なアドバイスをしなかっただろうかと。


なぜ、危険なのか。
根本的に「まじめ」な部分がある場合、回復してきて「ディスチミア」からは抜け、ただのメランコリーになったときに、例の「完遂しかねない自殺企図」をやるかもしれないからだ。タイトルにした「甘く見ない方がいい」というのもそういう意味。
回復期に「他責的」傾向が薄まって、メランコリー的な自責傾向が出るかもしれない。というのは、じつは自分自身にも思い当たる節があるのだ。ただ、おれの場合にかぎっては、自殺にはなぜか非常に極端な抵抗があるという特殊なタイプなのだけど。おかげで、メランコリーに傾いているときは、自殺もできないことに「死にたくなるほど」絶望しちゃうんだけど…。

そうではなく、さほどの抵抗感なしに「軽やかな自殺企図」ができる人は、何かの拍子に「自責的」な絶望一色になると、ほんとに「完遂しかねない」のではないか、ということ。


そう考えると、ネットを見ている限り、「ディスチミア」様の病状の危険性は「軽やかな自殺企図」に限定されていて、ちょっとこれは、あまりにも甘く見られているといえるのではないか。メランコリーとディスチミアは、どうもほとんど別のものとして扱われているようだけど、本当に完全な別物だと決めてしまって、大丈夫なのだろうか。どうも怖い感じがしてきた。

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