プログラマーになりたい。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

突然じゃないことなんてない。

と、8月25日のおれは、じぶんの携帯に宛先未入力のメールを保存している。
それによると

突然じゃないことなんてない。
いきなりじゃないことなんてない。

だそうである。なにより「突然」かつ「いきなり」なのは、お前の思考の飛躍およびそれをわざわざ保存する行為だと言いたいが。どんだけ記録魔なんだ、と。

それはともかく、なんで今さらそんな時期の思考を思い出したかというと、海堂尊ジーン・ワルツ』に、「因果律がみえたときには、全部終わっている」(うろ覚え)というような台詞が何度かくり返して出てきたから。それを見て思い出したわけです。

あ、正確な文面はググってみてください
いま、本が手元にないんだわ。

思考という行為も、偶発的で唐突なのではないか

どんなに論理的な思考であっても、そのきっかけの大半は、脈絡のない外からの刺激か、あるいは脳内でたまたま発生した無作為できっかけのないなニューロンの活動(発火)なのではないかと思う。日常生活の動作のうちほとんどは、あとから合理的説明がつくものであっても、始める瞬間には「決断」なんていちいちしているとは思えないのだ。「なんとなく」というか、気づいたときにはやってる、ってパターンは非常に多いと思う。

何年かまえに開催されたJNNSの公開講座で、いくつかの講義で共通して感じた印象があって、それは「じつは人間ってそれほど意識的に動いてないんじゃないか」ということ。
つまりプログラミングでいうところの「サブルーチン」みたいなものを大量に記憶していて、周囲や内部からの刺激に対して自動的にそれらが起動する、ということだけでかなり複雑な動作まで済んでしまうのではないかということ。

運命論とは違う。しいていえば確率論的。

人間って、意外となんとなく生きてるんだな…ということ。

無意識の領域の大きさは、一般に思われているより、ぜんぜん大きいのではないか。

おれ、なんだかこの直感に、強い影響をうけつづけている。

GooglePageRankの概要説明なんかを見てもそう思った。
「決断して行動する」よりも「なんとなく行動する」ことのが圧倒的に多い。
人間って、じつはほとんどなんも「考えて」ないんじゃないか。というか。

だとすると「生命」と「刺激に対して確率的に選択されたサブルーチンを呼び出して動くだけのプログラム」との差は、はたしてそれほど違うのか。あるいは、その差は一体何なのか。
と、何を考えても結果的に、なんとなくその直感のまわりをぐるぐる回ってる気がしてくるのだ。

そしてこれからも、この直感が、何に興味を持ち何かをするかに大きな影響を与えていきそうな予感がしている。と、ここに記録しておきたかった。

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