例えば、BS11で放送されていた「真(チェンジ!!)ゲッターロボ 世界最後の日」でいうと、出てくるロボット達が時々あり得ないほど歪んだり、しなったりして、何とも言えないほどの「躍動感」をかもし出している。最近で言えば「ガイキング」だったり、「グレンラガン」もCGのロボットアニメでは描けない「躍動感」がある。あとCGのロボットアニメには、「かっこいい」と思わせる手描きロボットアニメ独特のパースがうまく描けない。
先に言っとくと、おれ自身は、元祖のエヴァンゲリオンが最初で最後のロボットもの、というぜんぜん詳しくない人です。また、エヴァンゲリオン自体は上記のような「躍動感」はさほど強調されていなかったと思う。が、エヴァンゲリオンに関しては、なんとなくこの印象はわかる。
たぶん「CG」が駄目というよりも、現在の技術ではまだ到達できない手書きの長所みたいなものが確かにあるのだと思う。というか、こと元祖エヴァは、ロボットの描写だけではなく、CGという比較対象がまだ一般的ではなかったにも関わらず、手作業の魅力に妙に自覚的であったと思う。具体的に言える根拠となると、あの、あえて手書きの明朝体を見て、いいあらわせないような凄みを感じたというぐらいしかないんだけど。手書き特有のものとして、こういう「線」の魅力もあると思う。
CGの方が「正しい」と考えるなら、いずれにしても、人間がやることによる「ノイズ」だということになる。たしかに、おそらくある種の錯視みたいなもので「正しく」はないかもしれない。が、「印象が違う」ということには印象でしか語れない部分があるのもたしかだ。
ある映像を見て、みんなが同じように錯視する(非現実的な印象を持つ)なら、それを描いた絵が写真とは違ってもべつにいい。それは印象の面からいったら写真より「正しい」かもしれない。それはそれでありだ。うまい例が出なくて申し訳ないけど、野球のバットがしなるように見える、とか。
それに、法外に巨大なスケールでは、実際の「超合金」とか(ロボットの素材)は、法外に柔らかいかもしれない。そのスケールで見ると「歪んだり、しなったり」も、ある程度はしそうな気がする。
ジェット機の翼って、見ていて分かるほど大きくしなる(乗ったときは垂れている)。また、携帯電話は落下時に、衝突の衝撃を受け流すために波打つような激しい(不完全な)弾性変形を起こす(ように設計されている)らしい。また、一般に、時間や空間のスケールが変わると、流体としての性質も変わる。縮小模型での風洞実験とか、本物の大きさに拡大すると、相対的に粘性は低くなるので、それを考慮しないといけない。ビルの模型は木と紙で作れるけど、実物は無理だ。分子のサイズに対して、物体の大きさが変わる、というか。
というわけで、全体としてみると「あり得ないほど」といいつつも、脳で視覚からの刺激が統合されたあとの、印象とかレベルでは、あり得なくない。それは、CGよりリアルかもしれない。