- 作者: 森絵都,杉田比呂美
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2006/06
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「富塚先生、(略)ぼくんちに来て、言ったんだ。大人も子供もだれだって、一番しんどいときは、ひとりで切りぬけるしかないんだ、って」
(略)
「ぼくたちはみんな宇宙のみなしごだから。ばらばらに生まれてばらばらに死んでいくみなしごだから。自分の力できらきら輝いてないと、宇宙の暗闇にのみこまれて消えちゃうんだよ、って」
すみれちゃん(=富塚先生(引用者注))の言葉がよくわかる。
わたしだって知っていた。
一番しんどいときはだれでもひとりだと知っていた。
だれにもなんとかしてもらえないことが多すぎることを知っていた。
(略)
だからこそ幼い知恵をしぼり、やりたいようにやってきた。
(略)
そのくりかえしのなかで、わたしはたしかに学んだのだ。
頭と体の使い方次第で、この世界はどんなに明るいものにもさみしいものにもなるのだ、と。
宇宙の暗闇にのみこまれてしまわないための方法だ。
「でもさ」…と、これにはつづきがある。
「でも、ひとりでやってかなきゃならないからこそ、ときどき手をつなぎあえる友達を見つけなさいって、富塚先生、そう言ったんだ。心の休憩ができる友達が必要なんだよ、って……」
一瞬、わたしの手をにぎるキオスクの指に力がこもった。
引用はすべて森絵都『宇宙のみなしご』(フォア文庫・理論社) pp.218-220から。
高専本科時代の元クラスメイトが突然亡くなって、その後の様子をみたから、というのもあるけど。在学中の後半ぐらいから、あのクラス全体が「一番しんどいときはだれでもひとりだと知っていた」。
そして「だれにもなんとかしてもらえないことが多すぎることを知って」いて、だからこそ「ときどき手をつなぎあえる友達」、「心の休憩ができる友達が必要なんだ」とみんな気づいているような感じがあった。
それをある先生は「ジェントルメンだ」と評価し、また別の先生は「反応が薄い。最悪」と言ったりした。おれは「突然、みんなが大人になった」と思っていた。
若干、数奇なルートでクラスに合流してなじんだ人もいたし、逆に、中にはそういう「ひとり」の感覚を持て余して辞めてしまったのひともいたのかもしれないけど。
残念ながらおれ自身は、その甘ったれない「おとな」になることに失敗しつづけているのだけど。だからいつまでも学校の枠から出られないのだと思っているけれど。それでも、あんなにすばらしい成長をつぶさに見せつけられれば、やはりそこから、なにかは受けとれたと思う。いろんな人がいて、趣味も嗜好もばらばらだけど、ただ、どんなに違っていても、「手をつなぐ」ことはできる、ということとか。
中学生つながりで
たまたまだけど、これも読んだ。
- 作者: 木堂椎
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だから、高専に来て、「権力構造」という意味ではたしかにとても解放された。解放されすぎて、最初は、あまりにみんながそっけなくて、ちょっととまどったけど。事務的なことや挨拶まで無視するのとは違うけど、かといって誰もわざわざ過度の干渉をしない。もちろん、逆に、いきなり話しかけてみたとしても、それなりに丁寧に聞いてくれただろうし、おれもそうしてたつもりだけど。ああゆう雰囲気のなかでは、最初から一方的にかまってあげたり、かまってもらったりする関係は、一時的には見えない程度にあったかもしれないけど、結局続かなかっただろうと思う。
いまでも、あれは何なんだったんだろうと思う。ある時期から、みんなが出口で確実にばらばらになるのを意識しだしたからかなとか、みんな「就職」という言葉を受け止めようと覚悟したからかなとか、かってに想像したりしたんだけど。いまだに、このことを考えると、ちょっと不思議な感じがする。