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本と言葉と生きることに対する真剣さ(長嶋有『ぼくは落ち着きがない』)

この表紙、いい。女の子が笑ってないのです。怒ってもいない。歩いてて、ふとこっち見ただけって感じ。

ぼくは落ち着きがない

ぼくは落ち着きがない

この登場人物たち、考えてることがとても敏感で正直。そういう意味ではばっちり青春してるけど、「スカッと、さわやか!」だったり、「ピュア」だったりはしません。
人間って、むしろ正直になるほど、いわゆる「ピュア」な物語とは正反対の方へ突き進んでくんだと思った。ネクラだったり、オタクだったり、なんだかみんなもんもんとしてるし。おおきすぎる自分を抱えて右往左往。

それにしても、長嶋有って、こんなにストレートにじぶんの考えを小説に書き込むスタイルだったっけ。なんか設定からして青春小説だと思ってたのが、読みすすむうちに、むしろここまでつきつめたら対象を問わず「生きることとは?」みたいなことになるんじゃないかというところまで突き進んでいく。ここまでいったら「哲学」っていうじゃないかと思うとこまでいってる。名言集ができそうなぐらいに、格好いい文章がいっぱいあった。

たとえば「距離感」と「距離」の下り(P.139)とか。

 こないだ初めて買った文芸誌で、ある作家が書いていた言葉。
 「『人と人の距離感を巧みに描いた作品』だなんて褒められても、なんのことか分からない。私が書きたいのは人と人の距離だけだ」と。
(略)
自分も、頼子との「距離感」なんて大事にしないんだ。


言葉に対するセンスは、こうやって説明してもらえばわかるけど、リアルタイムでは真似できない感じがある。

言葉遣いには、書いた人の性質が出てしまう。のだと思う。正直、おれが読んでもあまりわからないけど。たとえば読む人が読めば筆跡鑑定みたいにして誰が書いたかとか、わかってしまうのだろうな。(おかげで、臆病なおれ自身の性質を思い出した。) 以前、枡野浩一が書いた、やはり同じぐらいのスケールでの、言葉に関する文章を読んだことがある。短歌とかみたいなスケールで活動している人というのは微視的・直感的レベルでの言葉のしくみに敏感でいる必要があるんだろうな。プリミティブな視点というか。

文中に登場する夏石鈴子の小説『いらっしゃいませ』はおれも以前読んだけど、取り上げられているビルの入り口の鍵を開ける描写をみてここまで何かを考えてなかった(そういう描写があったなというのは覚えてるけど)。

それから、ほとんどの部分が図書館が舞台になってて、主人公の思考の描写を通して、本への熱烈な愛が噴出してます。

なんか、沈黙して、もんもんとそういうことを考えてるときの地の文章の多さは、筆のコントロールが効かなくなってる感じがして、おもしろい(っていうと悪趣味かもしれないけど)。

いまタバコ一本吸ってて思いついたんだけど。格好よく生きたいならまず自分にない他人の格好よさを認めないといけない。こいつ(主人公とか)は、たぶんその上で、格好よく生きようとしてるんだけど、それってあんまり格好いい生き方にはならない。でも、それ以外に格好よく生きるやり方はないらしいからがんばってるんだと思う。で、そうやってれば一瞬だけ格好いいときがあったりする(かもしれない)。

出版社 / 著者からの内容紹介
人って、生きにくいものだ。
みんなみんな、本当の気持ちを言っているのかな?

青春小説の金字塔、
島田雅彦『僕は模造人間』('86年)
山田詠美『ぼくは勉強ができない』('93年)
偉大なる二作に(勝手に)つづく、'00年代の『ぼくは~』シリーズとも言うべき最新作!
「本が好き!」連載中に第一回大江健三郎賞を受賞したことで、ストーリーまでが(過激に)変化。
だから(僕だけでなく)登場人物までがドキドキしている(つまり落ち着きがない)、かつてみたことのない(面白)不可思議学園小説の誕生!
※ ( )内は作者談

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