プログラマーになりたい。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

物語の力を感じた(森絵都『ラン』)

森絵都の、いわゆる「受賞後第1作・書き下ろし」ってやつだそうです。

ラン

ラン

両親と弟を亡くし、さらに叔母も亡くした主人公が偶然、「魂」が生まれ変わるために記憶や人格が「溶け」白紙になるための段階=「ファーストステージ」にとどまっている彼らと再会してしまう。


こないだ偶然聞きかじった(読んだ)「死者は修行の旅に出た」みたいに扱う仏教の宗派があるという話を思い出した。「ファーストステージ」はべつに修行(自発的ななにか)ではなく、「溶ける」という言い方がされるように、むしろ執着が自然に・半ば強制的に薄れるという設定ではあるけど。「旅に出た」というのだって、どちらかといえば自動的に「追い出された」みたいなもんなわけだから、なんとなく似てるなと。


じつは何日か前に宇多田ヒカルがblogに

ちなみに写経のお気に入りは唯識三十頌です(はぁと)

って書いてるのを読んでさ、「唯識三十頌」って調べたのよ。「唯識」ってたしか「アーラヤ識とかのあれだろ」程度には知ってたけどさ。ウィキペディアレベルですけど。どうも意識の構造を述べてるともいえるし、それを外堀から埋めて、らっきょの皮剥がすように解放していって解脱みたいなとこにいく道程の説明でもあるっぽいなという印象を持ったんですが。


で、そんな浅い知識を持ち出してどうすんのって感じではあるんですが、作中の「溶ける」というのがとかの修行の方向・方法と似てる気がしたんだ。もっぱら他力本願な感じが違うけど、とはいえ「溶ける」方はなにしろ死後のはなしだからね。そのぐらいの差異はあってもいいでしょ?


って話がなんだかとっちらかってますけど、なにが「物語の力」なのかというと、ストレートに書こうとすると、とっちらかっちゃって書いた本人にしか理解できないような文章か、あるいは難解な経典や哲学になっちゃうような、そういう曖昧な生死感を、物語なら面白く表現できる可能性があるんだ、と、そう思ったわけです。まあ、著者が意識的にそうしたのかは知らないけど、おれにはそういうふうに読めたので。


この設定の面白いところは「輪廻」とか「死後の世界」があるように一見とれるのに、しかし、よく考えると作中の「死」が現実の死とずれてるだけで、よく考えると「死後の世界」が無いも同然という身もふたもない点。「死んだら無になる」という(少なくともおれにとっての)厳然たる「事実」がむしろより一層つよく実感されてしまった。


なぜならば、主体がある(自分がここにいる)という実感というか自己同一性とか人格とか個性みたいなものが、死後の「ファーストステップ」で結局徐々に喪失されて(「溶け」て)いくことになってるのだから。


作中では、たしかに純粋な「魂」にとっての輪廻はたしかに「ある」のだけど、しかし「魂」にはおそらく高々「いまの状況を見ている」程度、へたすると「ただ在る」程度のしか能力がないらしいわけで。なにしろ記憶みたいな個人的なすべてのものは「溶け」ちゃうのだから。悟っちゃうのといっしょかもしれない。
でも、はたしてそんなものを「主体」といえるのかは、かなり疑問だ。記憶したり考えたり、自他の区別が完全に失う(「溶ける」)ということは、そもそも死後(「セカンドステージ」)の世界を認識するための主体がないわけで、イコール自身にとっての「セカンドステージ」以降の世界、ましてや来世なんてあったとしても無いに等しい。「我思う」ではなく「我思えない」だ。実際「前世が…」とか言われて実感のある人なんてほとんどいないだろうから、これは文字通り他人事ということになるのではないか。第三者的には生まれ変わりは「ある」のだけど、主体的には実感しようがないのだから。


さらに、この物語の設定、使われる用語を、仮に「溶ける」を現実の「死」に置き換え、物語全体をみなおすと、「ファーストステップ」なんて認知症にならないと死ねない老人ホームみたい。ですから、一般的な意味での「死後の世界」さえも、主観的には「無い」といってることと同じ。
これ、日本人的な、口先では輪廻はあるといいなーとかいいつつ、実際にはあんまり真剣に信じてない感じの生死感を、意識的にか無意識か知らんけど、うまく描いてると思う。そういう意味でも、印象的な作品だった。


で、だからこそ、(体験や自己同一性の自覚は来世には持ち越せないんだから)実質的に「一度きりの人生」を、まっとうしようぜ!と、いうわけで、取ってつけたように引用して失礼な気もしますが

森絵都メッセージ:走るのが嫌い。生きるのが嫌い。そんなあなたに読んでほしい物語です。

という説明になるのかな、と、ワタクシは思います。


ともかく、なんだか走るシーンの読み応えはもちろん、独特の面白さも併せ持ったすごい作品だと思います(これを詰め込み過ぎだと思う人ももしかしたらいるかもしれないとは思うけど)。おすすめ。

Creative Commons License ©2007-2021 IIDA Munenori.