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鈴木健『究極の会議』、再読

究極の会議

究極の会議

 

  こないだのBBQの帰りに、この本を、6年前に読んだうろ覚えの知識で知人に紹介してしまった。実は紹介といっても、書名すら思い出せなかったのだ。それでちょっと気になっていたので、探して再読した。

 ついこのあいだまで、会議術の本なんてこれしか読んだことがなかった(こないだ小学生向けの会議術の本を読んだ)。なんか、これを知ってしまうと他の本が少し色あせてしまって、その後他の本を手にとる気になれなかったのだ。

 
 この本のテーマは
「会議はその場で議事録を作るためにある」
ということだ。それ以外にない。このわかりやすさにはしびれた。
 しかも、この1文は序文に書いてあるのだ。いくら実用書だからといって、ふつうはもうちょっともったいぶると思うんだよね。このストレートな感じもいいと思った。
 
 このやり方には向かない会議もあるとしつつも、そっちについては目もくれず、ひたすらこれだけで1冊書いてしまっている。
 一応、
  • 議事録取るときは意見、結論、ToDoをわけるとか、
  • ToDoには担当者と確認者と期限を絶対つけるとか、
  • トピックごとにはじめに時間を決めておくとか
15個の注意点が、あるにはあるんだけど、基本の「議事録を作るため」という姿勢はまったくぶれないのがすごい。
 
 あと、これは本書の説明するテクニックだけが知りたいだけならば関係ないかもしれないが、冒頭の1文目から
「できれば、この世から会議を一切なくしたい。」
と始まっているのだ(例のアニメではない)。
 
 実はうしろの方にも
 ぶっちゃけ会議の生産性なんて、どうでもいい話だ。でも……会議の生産性を上げて会議時間を減らせば、その分もっと楽しいことに時間を使うことができるかもしれない。会議時間はゼロにしたい。
 そこのところを間違えて、会議の生産性を目的に生きても、なんだかちっとも楽しくないだろう。
 会議の生産性向上のためにエクストリーム・ミーティングなどというものを提唱したりするが、私自身の本心がそこにあるわけじゃない。
 生産性の向上へのあくなき追求は、資本主義社会の病理のようなもので、しらふで『生産性が向上します』などと喜々として説明している人は、いわば病人である。そういう人には『ああ、自分は病人なんだなあ』とせめて自覚してほしい。 
 とも書いてある。
 いろいろな意味でラディカルな本だと思う。
 
 出た当時に読んだときは、僕自身が結構せっぱ詰まっていて、テクニックにしか目がいってなくて、こういう文章は頭に残ってなかった。だから今回あらためて読んでみたら、こんなこと書いてあったのかとびっくりした。
 
 もちろん、本文では会議を成功させるために(議事録を作るために)あらゆる努力をしていて、専門のソフトウェアまで作ってしまっていて、だからこれらの文章は別に手抜きの言い訳とかではないのである。
 この本のテクニックを使うと短くなる傾向があるとか、集中力は90分くらいが限度だとか書いてあるから、むしろ(負の?)エネルギーは会議の短縮と余分な会議の削減というベクトルにそって発揮されたのだろう。
 はじめて思いついたのも、デスマーチの真っ最中の会議で、議事録作りの時間がとれないのでその場で書いてみたのがきっかけらしい。
 
 なんだか、あたまがすっきりする本だった。
 
 (あと、本書で言及のあった宮本常一『忘れられた日本人』と大橋禅太郎『すごい会議』は、読んでみたい本のリストに入れっぱなしだったので、今度読もうと思った。)
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