だまんです。

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リスクの意味の不一致

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「科学的な判断」というのは結構しょっちゅう「日常的ば感覚」と衝突している。
疫学的に適切なリスクの見積もりを示しても、ほんとに意外なほどに自分や群集の心理をコントロールできないらしいというのが、街の中で起きている新型インフルエンザ関連の騒ぎをなんとなく思い出しながらしながら思ったことである。
とか。


はじめに読んだのはエコナ関連の話題だったのだけど。

この委員はさらに「このように、どうか分からないということで、物事を決める場合は危なかったという結果と、安全だったという結果の二つがある。その場合に取り消す時、補償の問題も出てくる。そこをきちんとした仕組みをとらないととんでもないことになる」と発言しているが、委員長はまともに取り合っていない。

もし、消費者庁がこの議論を基に決定を下したら、さすがに食品安全委員会も「科学的に非常に大きな誤解があります」と説明せざるを得ないだろう。この議論を認めたら、これまでの食品安全委員会の緻密なリスク評価はいったいなんだったのか、ということになるからだ。そして、消費者庁と消費者委員会は大恥をかくことになる。

それにしても新聞記者という人種の文章作成能力の鍛えられ方というのは本当にすげえと思う。それにしてもこの松永さんの文体は力強い。こうやってメモっておこうと思ってなにかを書こうとするだけで影響を受けてる感じがする。


BSEについてもウォッチしている。
共通するキーワードはおそらくリスクか。実家住まいな上に、家事まったくしないのでエコナも牛肉もあまりチェックしてなかったんだけど。


これ読んで思ったのは根本的に「国産牛肉のリスク」とやらに対する認識の差があるのだろうなと。
認識というか「なんとなく怖い」「なんとなく安全そう」とかそういう意味で。口に入れるものの問題というのは、かなり理性を吹っ飛ばすらしい。
不幸ですね。不毛ですね。


しかし、その「食べても大丈夫か」という判断について理性的になれないならばせめて、科学的に安全だということと、ゲテモノは食べたくないという心理的不安の切り分けくらいは、理性的に判断できる訓練をせよということだろうと思うのだけど。
訓練するようにシステムができていないもの。ぼくは民主党だけに固有の問題だという気がしない。
吉川氏が食品安全委員会委員になる人事に民主党として同意しなかった理由についての談話がこれであるが

吉川氏を座長とするプリオン専門調査会は、平成17年10月、米国・カナダについてのデータが「質・量ともに不明な点が多い」ことや両国のリスク管理措置の「遵守を前提に評価せざるを得なかった」ことを理由に、BSEリスクの「科学的同等性を評価することは困難と言わざるを得ない」と結論づけた。しかし、その一方で、日本向けの輸出プログラムが遵守される、すなわち、リスク管理措置が遵守されると仮定した上で、両国の牛肉と国産牛肉のリスクレベルの「差は非常に小さい」と報告した。


民主党は、そもそも当該専門調査会が、こうした「科学的同等性の判断」について、(1)「科学的に評価することは困難」と結論づけ、明確な結論を放棄したこと、(2)「評価することは困難」と結論づけたにもかかわらず、両国のリスク管理措置が遵守されることを前提として、両国の牛肉と国産牛肉のリスクの「差は非常に小さい」と判断したことに重大な問題があると考えている。

その根拠として挙げられたらしい文書の著者自身が

米国の出した条件が守られるかを評価しなければならないのに、守られればリスクの差が小さいという結論は、評価を放棄したに等しいというのが、私の言いたいことだった。


BSE問題についての私の基本的な主張は、米国産牛肉のリスクは決して大きくはないというものだった。そして、その結論を逃げて、条件が守られれば、リスクは小さいとしたプリオン専門調査会の答申は、逃げ道を用意した卑怯な手だと私は思ったのである。そもそも、米国産牛肉のリスクは大きくはないと言うべきだと思ったのである。

4野党の皆さんや支持者は、米国産牛肉の輸入は今でもいけないと思っているのだろうか?輸入禁止にすべきだと思っているのだろうか。


輸入再開で危険なことが起きている、だから反省せよ、だから任命できない、ならまだ分かる。しかし、何も問題は起きず、むしろ、米国産牛肉への信頼度は大きくなっている。それでも、今回反対された方達は、米国産牛肉の輸入をやめるべきだと思っているのだろうか。そこが聞きたいところである。

と書いている。
この「4野党の皆さんや支持者は、米国産牛肉の輸入は今でもいけないと思っているのだろうか?輸入禁止にすべきだと思っているのだろうか」というところ。
まさにそこが問題だという気がした。
まじでそう思ってるんでしょう。あるいは興味がない。


民主党の談話は「与党(当時)は米国産牛肉の輸入を解禁したい意図をもっており、それを認めそうな委員を選出して、問題はちいさいという見解を示させ、解禁したのだろうから、彼らはそもそも自民党に準ずる存在だ」と考えたということだ。考えすぎな気もしないでもないけれども。


いつも思うのだけども、科学者は道具だと思われてるよね。つまり政治的な意図を持った人間が使うと、そのように動くと。
「お金を注いで待ってると一定の成果が出てくる」という意味では一面で事実ではあるのだけども、実際にはその成果の評価をするのにまた別の科学者(ブラックボックス)を通すことになるので、仮に道具だとしてもそんなに単純なものではないということを理解すべきだと思う。
さらに「特定の見方をする集めてくれば、意図した判断を出す」というのにいたっては
科学者は全体としてみれば一般人が思っているほど、バカではないです。


こういう捉え方がされるのって、官僚の関わる審議会みたいなものとの区別がしにくいのが原因なのだろうか。


政治的な道具ではない。政治的な意図を持って、際どいところで政治的な判断をする専門家もいるのかもしれないが、そういう人の数も、実際にグレーである割合も、ちょっと多く見積もられすぎている。
BSEとかエコナとか、政治的に大きい意味を持つ場合や、環境や人体に影響がある場合などではとくに、興味のある人たちが必ず一定数いて、お互いにそれなりにチェックしている。だからうっかりミスしたりとか、あえてミスしたりすると、それはそれで話題になるのだ。実際に上記のような情報が出てくるのだから。


ただ、一方で議論が内輪で閉じてるなーと思うのも確かですが。内輪では先進的な意見がとびかっててすごいのに、外部にいるとそんなことさっぱりわからない。それでも多くはググれば出てくるようになっただけましなのだろうけど。しかし、それがうまくマスメディアなどの端にのるのに半年、それなりの数の人がキーワードを憶えて話題になって、あちこちで言及されて広く周知されるのってさらに半年、とかかる。結果1年とかずれてたりするよね。科学にかぎらないけど、発信するコストがかかるのでしかたがないという面もあるのだろうけども。
そういえば、リスクということばもやっと金融以外での用途が定着してきたくらいだし。


単純に考えても毎日の生活に影響する要素が多様化しているらしいので、自分の抱えるリスクというものをある程度自分で意識的に管理しなければならないし、そのためにはそれなりの量の情報を処理するスキルも必要だということが一般化しないと、マスコミも政治家もぼくたち自身もこういう科学にまつわる議論には、噛み合ない事態がぽんぽん起き続けるのだろうな…。

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