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バブル崩壊とはいつだったのか/崩壊とはなにか

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我が家のにとってのバブル

じつは、読み物から得た知識として、「バブルとはだいたい1991年ごろまでのこと」だと認識していたのだけれど(実際、経済指標からすれば間違いでもないのだろうが)。
ところが、いま母とうちの弟が生まれた「平成3年」って西暦何年だったかなという話になってググってみたら、それは、まさに91年なわけです。ところが、Wikipediaの記述でバブルに触れているのは「この頃からバブル崩壊が表面化してくるが、後の平成不況の足音はまだ遠く、当時は不況入りを実感していた者はごく僅かであった」(1991年 - Wikipedia)の1節のみ。


我が家に関して言えば、まず1985年、突然田舎に引っ越し日常が変化したため、通常の状態がよくわかっていなかった。しかも当時、マスメディアをみる習慣がなかった。だからぜんぜんバブルの好景気も崩壊も知らなかった。
特に母は、東西冷戦の終結とか貿易摩擦とかをいまだによくわかっていない。1985年から失われた10年にタイムスリップしていて、相当レアな人種である。


このような時事に疎い日本人(母)がなぜ形成されたのか、もう少し詳細に書く。
まず昭和64年(平成元年・1989年)、崩御前後のどたばたは、日本にいなかった。タイかインドにいた。「大変だ。お前のところのエンペラーが亡くなったぞ」と現地の人に聞いたそうだ。海外に行ってもテレビは見ないのである。

さらに、バブル景気に沸く日本に戻っても、住処は田舎だし、車道から徒歩5分の自動車も自転車も入れないような借家だった。そもそもそんなところに借家があるというのが驚異でしょうけれども、あったのだ。もちろんバブルによる家賃変動はなかった。

したがって、あらゆる意味で、そもそも「土地神話」なんてものが彼女の耳や頭に入り込む余地がなかった。

このようにして、母はバブルを華麗にスルーした。彼女には景気が良かった記憶はない。

ただ、もちろん経済活動にともなって母以外の人は移動する。従来通りの生活をしていた母だって、やはり、たとえばバブルにのって増えたと思われる新しい人種と接したりするわけだ。
というか、うちの両親にはそういう友人が多い。

職業的には従来からいた、モデルやコンパニオン、フリーのデザイナーなどだ。当時はバブルの影響で単位時間あたりのペイがよくなっていたのだと思う。フルタイムで働いて、ディスコなどで羽振りよく遊んだことが世間的には記憶されているようだけど、両親の友人たちの場合は、東京での高い賃金を利用して少しだけ働いて、残りの時間を田舎ですごしていた。
いわゆる「よそもん」が僕らの住んでいた田舎に増えた時期だった。
そういう影響は、いま思えばあった。

そして、そういうもろもろというのは、いま思えば、東京での賃金や仕事の量が絞られていく途上にあったわけで、彼らがその後徐々に、完全に田舎に移住するか、完全に東京へ帰還するか、というような選択を緩慢に迫られていくのを見た。

こうして我が家はやっとバブルを認知した。

ぼくが東京に引っ越すことになる94年頃までには、そういった別荘的な過ごし方は不可能であることが、すでにかなり顕著になっていたと記憶している。田舎に残った人々は、観光客相手の商売をやるかとか、あるいはそういう産業に雇われた労働者になるとか、そういうパターンが多かった。
それが見た目上は景気の変化ではなく、東京で働く観光客から観光産業従事者への職業の変化だったことも、母にバブル景気を意識させなかったひとつの要因かもしれない。

崩壊

「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬にして起きた現象ではない。グラフ(各種指標)はある瞬間に最大値を取り、理論上、そこでバブル崩壊が始まったわけだが、それは単なる序章に過ぎない。バブル崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象である。現象の進行は地域や指標の取り方によっても異なり、例えばマンションの平均分譲価格を見ても、東京と大阪ではピークに約一年の差がある。東京でバブルの崩壊が発生し始めた時、大阪ではまたバブルが続いていた、とも言える。また北海道、東北、四国、九州など1992年頃まで地価が高騰していた地方都市もあり、俗に「バブルが弾けた」というが、あたかも風船やシャボン玉がある瞬間に破裂したかのような瞬間的な現象ではない


数値的に確認できる「バブルの崩壊」と、体感的な「バブルの崩壊」にも最大で数年程度のずれがある。データ上、バブルの崩壊は1990年11月頃始まったが、必ずしも誰もが直ちにそれを体感したわけではない。バブルの崩壊を経済学的現象ではなく深刻な社会問題ととらえるとき目安となる時期は、全国的に地価の下落が明確となり、有効求人倍率や新卒の求人倍率が大きく低下し、企業の業績悪化により学生の内定取り消しも相次いだ(就職氷河期も参照)1993年頃から、不良債権問題や株価低迷によって大手金融機関が次々と破綻に追い込まれた1997年頃にかけての間であり、それまでは(事実としてバブル崩壊が始まっていたにもかかわらず)それを認識できずに楽観的でいたり、そうでなくても、まだ持ち直すかもしれないと期待していた人々がほとんどだったと見られる。また、経済政策の失敗によって1997年以降の景気が極端に悪化し、リストラや採用抑制が一層激しくなっているため、本格的に実害をこうむった1990年代後半〜2000年代前半を特にバブル崩壊による景気悪化と振り返って捉えている人も多い。


以上のことを踏まえると、一般的にバブル絶頂期とは、景気が良いと一般大衆に認識され始めた1988年頃から、景気が悪くなってきたと認識され始める前の1992年頃までを指すこともできる。


上に引用した記事はよくまとまってていいですね。
バブルというのは負の側面、つまりその後の不況による強烈な不快感と一体になった言葉だけど、実際には平成の不況の原因はバブルの反動だけとはいいきれない。

たしかにバブルは外為の政策がきっかけに、金融業界と建築業界が「土地神話」を駆動して起こった好況であったのだろうけども、その後の90年代の不況の原因は「土地神話」だけではなく、いくつかの時期ごとに、それぞれ複合的な要因があっのだたということ。

Wikipediaのこの記事はおおざっぱに、

  • まずバブル直後にオーバーシュート(崩壊)が起きたのは日銀と政府(大蔵省)の失策。
  • 低め安定がやたら長期化したのは我慢くらべをつづけたせい。
  • 一気に悪化したのはその我慢の限界だった。

と、読める。

たとえば、アメリカの経済関係のニュースで、ITバブルの終わりが近づいていた2000年ごろ盛んに「ソフトランディング」という言葉が使われた裏には、上記の、日本の1つめの経験がトラウマとなっていたのだと思われるわけです。

ところで、「人類の歴史」みたいなものがあるとして、原爆、ソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、ワールドトレードセンター崩壊などと、それはどうやら「崩壊」とか「破壊」で語ることができてしまうらしい。

さて、だとすると次に崩壊する(というか「崩壊」といえるだけの規模がある)のはインターネットと、国連、それからアメリカをはじめとした主要国による世界の統治ぐらいだ。

統治機構の崩壊・再構築はぼくの手にあまるけど、インターネットに関しては、「あんなエネルギー効率の悪いものを、なんで維持してたんでしょう」といわれる姿は想像できなくもない。
いろんな種類の本来無関係なネットワーク同士を多重化して、相乗りすることで回線数を減らせるというのが、一応いまのところまかりとおっているインターネットの存在意義なのだろうけど。実質的に中央集権化してしまい、あまりにも中心部のインフラに負荷がかかっている気がして、これは、そろそろ限界か、あるいは変身する臨界点か、どっちかをむかえそうな感じがする。

米国のニューエコノミー幻想が崩壊し、日本でもITバブルははじけたことになっているけれど、日本の会社は相変わらずすごい量の各種資産を抱え込んでいるのは確かで、とくに人材は、人的資産といえば価値がありそうだけども、人的資産にも負の利息みたいなものがあるのではないか。各個人がある決まった生産力を持っていると仮定すると、それを「ひきだせない」ことは相対的に見て損失であると考えられる。

例えば時給1000円払って人を1時間雇うとする。彼は1時間で2000円分の仕事ができるが、途中で材料がなくなったので、1000円分しか仕事ができなかった。雇った側は1000円の損をした。みたいな。
これ、うまく売りさばける商品だったら、GDP下がるよね、たぶん。

労働者を上手く働かせることができない場合、その分、社会的に見ると損失が生まれているのだ。

土地神話」に対する「人材神話・頭数神話」みたいなのがあるのだろうか。「人材を使わないまま抱えていても、給料以上に損はしない」みたいな。

バブル期に、土地の含み損をトリックを使ってごまかした「ひずみ」が、90年代後半の不況の泥沼状態を招いた原因であり、これらが竹中平蔵らに象徴される経済政策により、2000年代半ばには資産の正当な評価と、流動化をふたたび取り戻したことによる一定の正常化がみられたのだとすると、現状のIT業界は雇用面でかなり「ひずみ」だらけである。

というか、ある意味、日本では、バブルがはじけきっていないんじゃないかと思う。

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