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だまんです。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

ミームだね。

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(「ハックルベリー会いに行く」のエントリ)
こんなとこに書いてもメモにしかならないですが。ハックルベリーさんは以前から「会う」ことを重視しているようだから、ブログのマネタイズとして、対談して出版というのは、ああ、なるほどと思った。


あと、文中にもあるけど、たしかにコンテンツと広告とか、あとサービスも、かならずしも相反するものではない。厳密にわけられないんだよね。とくに胴元(プロバイダ)にとっては。権利的に強いのはコンテンツの保持者だけど、儲かるのは胴元の方が儲かる。
いまのところ「コンテンツの販売」を考えてるようですが。コンテンツの対価をユーザからとる必然性はべつにないといえばない。インタビューにこたえること自体、パブリシティーの一環だったりするわけだし。
もちろん、本というのは、いまのところ流通しやすく、残りやすい媒体だというメリットはあるけど。それはそれとして(はてなの近藤さんだって本出してる)。

なぜ伝えたいかといえば、それを伝えることによって、きっと救われる人がいると思うからです。


この本は、そんなふうに、現世と後世とをつなぐ、創作論のバトンのような役割を果たせたらと思っています。口幅ったいですが、マキャヴェッリの「君主論」や、世阿弥の「風姿花伝」のようなものになってくれたらとさえ思っています。


なぜそう思うかといえば、ぼく自身が、これらの本によってだいぶ救われたからです。これらの本によって、ぼくはその時つかみかねていた創作のコンセプトを、パッとつかむことができました。彼らがそれを言葉として、書物として残しておいてくれたおかげで、突き当たった問題について、解決のヒントを得ることができたのです。


だから、そんなぼくと同じように、この本を読むことによって、創作についての解決のヒントを得られる人が、現世でも、後世でも、現れてくれたら幸いだと考えています。

ところで、この文脈で「救われる」ってすごいことばですよね。「救われる」というのは何かかなり大きくマイナスに傾いた状態があって、そこから「救われ」るわけだから。びっくりした。ハックルベリーさんは「救われ」たんだなって思った。


あとね、最初は、お、これミームじゃん!
とか思ったんですが。でも、ミームって厳密にはどっからどこまでなんだろうね。ノウハウとか「〜法」と名前をつけたらそれは定数(例えばπとか)みたいなものだと思うんだけど、ミームっていうと変化しても、変化の過程でつながっていれば系統として同一視もできるわけじゃん。もうちょっと自律的(といって語弊があるなら動的)だよね。
とか、思い悩んでなかなか気軽に使えなくなってしまった。


などと相変わらず、引用と内容がつながらないブログで申し訳ない。


いまウィキペディアを見ましたら、「ミーム」のとこの「関連語」に面白いものがあった:

  • ミーム型(memotype) - 遺伝学における遺伝子型に相当する概念。

  • ミモイド(memeoid, memoid) - 自身の命さえも危険にさらす程の強い影響をミームから受けている人。例えば神風特攻隊、自爆テロ犯など。

ミモイドっていうのか。命はさらしてないと思いますが、時間をかける、想いをかけるという意味ではミモイドさんですね。


あと、定義のはなしですが、そもそもミームの定義とかミーム思想自体や、さらにはアンチミーム思想も、ミーム思想においてはミームととらえられるようだ。なるほどね。
しかしこのミームってやつの定義は読めば読むほど面妖ですね。
方法や行動などに名前がついていなくても、ミームミームなわけですが…えーと、うまくいえない。
むしろミームをわざわざ具現化して例示してしまったらミームじゃないんじゃないか、とかふと考えてしまったりして。オブジェクト指向プログラミングのクラスみたいだ。


なんでかというと、遺伝子(gene)はタンパク質そのものではない。
また、遺伝子が「利己的」という主張をどう捉えるかによるのかもだけど、個人的には、進化というのは遺伝子+淘汰という外的な作用が両方あって初めて動くシステムだと思う。


なんか、具体的な方法を述べたとたんに純粋なミームではないものが伴ってしまう気がする。ミームミームとして捉えられたら、もうミームではない気がする。
であるならば、観念的にしか存在しないのかね。しかし、観念的には、そういうものがないとはいえないだろう(ミームの存在を仮定しても、矛盾は指摘されないだろう)けど。
ミームってあるのかないのかよくわからない。
おお、これは超越的!でた、中二病


たとえば、「世阿弥の「風姿花伝」」自体がミームなのではなくて、エッセンスとして含まれている何か。それの最小単位がミームなのだろう。


伝わるからミームなのか、ミームだから伝わるのか、というのは不毛だけれども、では「これはミームだ」と意識して伝えたものをミームと呼ぶのか。
一方で「結果的に伝わればミームだ」ともいえそう。そしたら「結果的に伝わらなくてもミームミーム」だ。ぼくの遺伝子はぼく以外のまだ誰にも伝わってないんですけど、それでも、まあふつうは「遺伝子」って呼ぶわけだ。
やばいやばい。不毛だといいながら不毛な匂いがする方へ行ってしまった。(たとえば「こどもをつくりたい」というカップルがいたとしても。それは、遺伝子が「そうしたいと思う」ように意識を「つくった」だけなのか、自由意志ってあるのか、とか。きりなさそう。)


あ「ハックルベリーに会いに行く」は「ハックルベリー・フィン」じゃなくて「1000のバイオリン」か…。そのまんまなのに、気づかなかったし…。

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