だまんです。

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日本は、東京は

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日本は日本人だけのものだってのはエゴだよね。

と、書いてあるのを見て、ちょっとおどろいた。そういえばそうだ。


日本って何? さいきんぼくは、ちょっと、日本って何だか分かんなくなってるんだよね。


ちょっと遊びにいっりした先で、外国人に会いすぎているのもあるかもしれないけど。
彼らのなかには、ぼくが日本にそんなものがあるなんて知らなかったり、あるいは知ってても理解できないポイントで、日本にいるのが好きでいる人もいるし、いやいやながら日本にいる人もいる。


でもねえ、日本が好きかとか関わらず、まあいるんだよって人が相当数いそうな気がする。
ぼくもまあ、日本語が母語で、唯一コミュニケーション可能なレベルで使える言語だというのはあるにせよ、大好きだから日本にわざわざ住んでいるんだ!というわけじゃない。
それと同様に、まあ、なんというか惰性とかもあって日本にいる外国人も多いんじゃないかと思うようになった。


ところで高野秀行という人は、まー、すごい人です。求心力があるし、頭いいし、独特のロマンティシズムがある。アヘン栽培しにいっちゃうやつ(『アヘン王国潜入記 (集英社文庫)』)も面白かった!しかし、ま、それは置いておいて。

作者は外国人たちと街を歩くとき、自分を日本人ではなく外国人のように思って街を眺めるという。
だからこそ、そのときに浮かび上がる光景は「東京」ではなく「トーキョー」であるのだ、と本書で作者は言及し、それがタイトルになっているのだ。

そう見えるということは、元々そういう側面があるんだろうな。


そうなったら、なんで「日本って何?」になっちゃうのかというと…。

  • 「日本」の領土は、一応「日本国民のもの」らしいよね
  • でも「日本国民」はとりあえず、たまたまある以前から日本に住んでいたので日本国民になったみたい
  • じゃあ、その後、住むことになった人たちは、なんで国民じゃないんだろう
  • まあ、国民でないのは手続き上のこともあるとしても、日本は本当に「日本国民のもの」なのか

みたいな感じだろうか。ぼくは日本国民ですが、日本はぼくのものではない。
うまく言えないんだけど。


どういう意味で誰のものか、捉え方によっても違う。実際、飛躍した言い方かもしれないけど、地球が人類のものだとしてみると、その一部である日本も人類のものでもあるともいえる。東京が都民のものだとしても、都民以外は東京に影響を受けないというわけではない。
考えている以上に、われわれの立っている場所は、個人的にしか定義できず、実は誰のものでもないんじゃないかというような気がしてくる。

ともかく、なんだかふわふわするのです。


あとね、ぜんぜん関係ないけど、これかわいいね。

自分でも書いていてよく意味がわからないが、自我を失うようなことがあるとすればそれは夜に起きるべきであって、朝に起きるべきではないということが言いたいのかな、と今ちょっと我に返って考えてみて思ったよ。

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