だまんです。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

つぎのスタンダードを簡単に思いついていたら、苦労しない

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昔のネットサービスは「ネットならでは」の機能が求められて、非日常をいかに作るかがコンテンツ開発の主眼だったけども、今はまったく発想が逆でいかに日常をネットで作り出すかに主観がおかれる。今度のネットサービスは生活の中にいかに自然に溶け込めるかがヒットの鍵だ。毎日朝このサイトを見る、ここで誰かとつながる、というような流れが自然と出来なきゃいけない。


だから重要なのは「滞在時間」だったりする。一日は24時間しかないから、その時間を使ってもらう魅力が必要になる。競馬サイトなんかは、データベースを見るから、1人あたりの滞在時間が長いし、そういうこと。


昔から成功してきたサービスの特徴は「いかにユーザーに不便なく高度なことに挑戦しているか」というところ。例えばiモードは人に意識せずにインターネットに接続させたし、携帯キャリアの決済システムはボタンひとつで課金が出来るというすばらしいビジネスモデルだし、iPodが流行ったのだって、PC上に溜めた曲が自動的に転送されるという仕組みだし、携帯に直接ダウンロードさせるLismoなんてのはもっと楽に音楽が聴ける。実は高度なことなんだけど、ユーザーにそれを意識させない。説明書が必要なものは絶対に今後は流行らない。


では、本題のブログやSNSの次にあるものは何か。ボクはそれはローカライズだと思う。インターネットはグローバルグローバルな方向へ向かっているのは当たり前なんだけど、逆にそれが本来あるべき境界線を薄くしている気がする。もちろんそれは間違ってことではないけど、その反動で、逆に境界線を濃くするサービスが絶対に出てくると思う。


ヤフーニュースだって全員に同じものを見せているけども、枠のうち例えば2つは自分にとって興味のあるニュースを載せてもらうことが出来るなら、おそらくそのローカライズは有効に作用するだろう。

「滞在時間」の発想は、たしかにそうだ。「ポータルサイト」ということばが使われたのと同じ意図だと思う。
ただそれと利便性(負担の少なさ)の問題と、流行るかというのはまたちょっと別かなという気がする。


「携帯」や「iPod」は、負担が少ないか?と、思うわけ。
たしかにストレスはあまり感じないけど。
使用時間の長さと、負担の少なさは、ほんとうに両立するか?そこに関連はないのか?というべきか。
使用時間の長さ自体が負担のように見えないか。「負担」の見積もりは非常に難しいと思う。
携帯のあのテンキーで入力する負担は、どうだろうとか。iPodの場合は、時間的にはウォークマンをリプレイスしたことになるからいいとしても、重量はMDウォークマンなんかよりはだいぶ重い気がする。などなど。


ローカライズ」を否定はしないけど。iGoogleも、OpenSocialも、Facebookも、なんかそういう感じらしいし。


それにしても、じゃあなんなのさって話だわな。
基本的にどうも全部新しいものはだめっぽい。ユーザもサービス運営側も参入障壁が高すぎて。
また、それはコミュニケーション手段である。ブロードキャストではなく、せめてマルチキャストっぽい。
UIの瞬発力が高い方向へ。反応は速くて、派手な方がモテる。
あと怖いのは、数学や物理学や情報科学のアプローチ。Googleはその良い例。


ああ、「ローカライズ」的な系統では、しばらくわすれられてたけど、エージェントって話があるな。
結局おれも「ローカライズ」的なものしか浮かばないのか。

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