ポンキッキーズが好きでした。
母親が江國香織を読んでいる。「食べるのも好きそうだよね。」
さて「セックス部」というクールなお名前のブログから。
「こんなことで未来はどうなってしまうんでしょう」
などと大袈裟に嘆く司会やコメンテーターが、
テレビを通じて、朝の風景の中に
過剰な「危機意識の高揚」を流し込んでくるけれど、
それはもう、陰鬱な閉塞感を助長するものでしかないように思う。
一つの防止策としては「対案のともなわない反論は認めない」とか。「両論併記」といいつつ「いかがかと思う」みたいな、内容の伴わない言い方やめようよとか。
そういう番組を見るたびに、
放映すべきは、それじゃないだろう
と思う。
うまく言えないが、それじゃない。
向き合うべきは、もっと平凡で、変化の速度の遅い、地味な、そういう何かだ。
そして、それは、もっと深いところで、僕らをぐっとハラハラさせる。
そういうものに違いないと、
何故か確信のようなものを持っているのだ
が。
脳内ではそれを「日常の大切さ」といっちゃってるんだけど、これは意味が一般的ではないかもな…。おれも上手く言葉が浮かばない。
そういえば、僕はポンキッキーズが好きでした。