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トリスタン、ポップス、小室

ハーモニー(和音進行)とメロディ(旋律)の時代性。

いや、論理的にどうかはわからんのだけど、こういう見方はおもしろい。それに「J-POP未満」の邦楽には特有の雰囲気があった。そしてその「雰囲気」が比較的明確なシステムによるものだったのではないか、というのもわかる気がする。

昨今、何かと話題のTK氏 aka. 小室哲哉。彼が、ある時期からさっぱり書けなくなったようなことを言っていたらしいという記事を見て思ったのは、彼は、よくも悪くも、自己模倣の達人だったということだ。
日本的な単音の並びに価値をおく感覚と、その構造上での特定のメロディーラインの使い回し。
彼の音楽は「時代の最先端」とかいわれていたわりに、時代性に染まらず(染まれず)、結局、そのときそのときの時代性をいつも同じ味付けで提供してきた(せざるを得なかった)ように思える。
冒頭の伝聞はつまり、しかしその手法がどこかで無理がきたんだろう、ともとれる。もちろんそれを「要は環境の変化についてけなかった」というまとめかたをするのは容易なのだが。


ところで、冒頭のスラドアレたま記事に掲載されていたリンク先を見ると

「メジャーとマイナーの中間を漂う浮遊感」
これがキーワードです。
ここでいうメジャー、マイナーはもちろん「調性」の話です。
王道進行の最初のコード、サブドミナントというのは、それ自体に調性を保留する機能がある上に、ドミナント7の後トニックにいかずに?m7にいくあたりで、調性の保留感がさらに強まって、あげくに最後マイナーに方に終止しちゃうっていう。
使いどころによってはかなり調性感をあいまいにする進行なわけです。
そして、「メジャーとマイナーの中間」というのは、実は王道進行だけでなく、JPOPで好まれるコード進行全般にみられる特徴なのです。

という話をみつけた。(この「JPOP」というのは、どうもかなり肥大した概念のようだという気がして、若干違和感があるのですが)趣旨はわかる気がした。たしかに、そういうものはありそうだ。


ちなみに、これを読んでまず思い出したのはトリスタン和音の解説。もちろん和音と、和音進行(和声)は違う。浮遊感はコンテキストに依存するだろうが、トリスタン和音*1
ってのも、なんか「微妙なやつ」だったような…というレベルで連想したんだ。もっとも「微妙なやつ」程度の知識しか無いからこじつけてるだけかもしれない。ちなみに、トリスタン和音について、専門家的な記述に解説をゆだねると

この和音の和声上の機能についてはいろいろな解釈が可能であり、調性的には曖昧である。

となる。


しかし、それにしても音楽理論の用語の定義って、なんでこう数が多い上に、こんがらがってるのでしょうか…。
音と音階。和音と和声(和音進行)。「そしてリズム・旋律・和声が「音楽の三要素」とされる」とかいいつつ各要素がオーバーラップしてる気がしたり。用語の定義が、観念的だったり情緒的(認知科学的に未知な)尺度を含んでいたり。
単なる「工学」みたいな態度で理解しようとすると、なんだかやりにくい。
どちらも学問的には、科学の応用であると思うんだが…。

*1:ちなみに、じつはこの和音の名前どころか、その由来=『トリスタンとイゾルデ』さえ憶えてなくて、「ワーグナーのあれ」的状況だったので、ワーグナーの頁にも載っていなかったらどうしようかと思いました…。いや、載っててよかった。

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