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モバイルコンテンツ業界の閉鎖性・殿様感覚と、それが津波でひっくり返される可能性

携帯コンテンツ市場は、目の前にぶらさがった生肉なのです、Googleなどに取っては特にそう見えているだろう。すでに「キャリア主導モデル」という骨は抜かれつつある。あとは「ネットの原理」というGoogle的な「骨」を突き刺すだけだ。それだけで、Googleはその生肉をまるまる簡単にまるごと手に入れられるのだ。

閉鎖的なモデルはもはや風前の灯だ

モバイル業界の閉鎖的な性質はある面で文化を保護してきた。けれど、それはもうある種の「伝統継承」みたいなビジネススタイルになりつつある。もはや爆発的なヒットはほとんどないのだ。
ここは地方公共団体の民俗保存係とかではないぞと、会社の中心で危機を叫びたい。
それに、やはり、PC向けと携帯向けで、根本的、会社どころか、業界レベルで完璧に2つのシステム、2つのコンテンツを作っているという現在の二度手間構造は、はっきりいってばかばかしい。
なんでだれもいわないんだろう。いつも思う。
いや、既得権益があるから、キャリアもコンテンツ屋も、そう簡単に参入障壁をさげるわけはないのはわかる。わかる…けど!じゃあね、その対価としてつぎ込まれ浪費されている無駄なコストも入れて計算しなおしても、全体として本当にプラスなのか。将来的な効率の向上と、既得権益とどっちがお得ですか?と、それは大いに疑問だ。

津波に乗れ!次世代のビジネスモデルが出せないやつは沈没する

一方で現実的にいっても、Googleがモバイルに本腰を入れてしまった以上、そう遠くなく、絵文字以外のコンテンツも、パソコンの「Webサービス」並に参入障壁は下がるだろう。ここまで、Googleの戦略の巧妙さは本当に見事だった。なにしろ、短期間に主要キャリアの懐にGoogleが入り込んだのだ。
これは、もはや後戻りはできないという意味だ。
すでに携帯業界はSEOの大波を経験させられたが、それでもこの程度でGoogleによる「あまねく」主義が終わるわけは無い。世界中の情報をできるだけ簡単に(当然安価に)手に入れられるようにする!してやるんだ!というやつらの熱意をなめてはいかん。
いままで業界内で「不文律」のように門外比出の秘伝されてきたノウハウ(認証、公式メニュー、端末識別による複雑な振り分け、絵文字変換、着メロ着うた…などなど)があった。これらのせいで、新規参入には非常に煩雑な調べものが必要で、その「めんどくさすぎる!」ということが事実上非常に高い参入障壁になっていた。職人同士の「株仲間」みたいに。
しかし、そんなささいなノウハウなんざ、そのうちGoogleの余波であっさり公開されるだろう。あるいはAndroidやPCでのノウハウのような、すでに公開されきって、腐るほど溜まっているノウハウや規格や技術で代替させられるだろう。

いままのまま安泰なんて、ぜーったいそんなことはない

だから、むしろ既存のコンテンツの提供方式が使えなくなることだって視野に入れるべきなのだ。いままでのノウハウやインフラが完璧に無意味になったとき。はたして、それでもなお、現状のようなニュース1本、画像1枚、音楽1曲で金が取れるようなアマアマな状況がつづくだろうか。つづいたとしても、既存の業者がなんの努力も無くそのままイニシアティブを握り続けられるだろうか。既存の業者にとっては出遅れる分むしろ不利になるかもしれないのだ。
この際、断言しちゃうぞ。だって、下っ端から見ていると、あまりにも危機意識が薄すぎるんだもの。目先のユーザの流ればっかり見ていたら、そのうち会社ごと、「携帯サイト」というビジネスモデルごと、足下をすくわれ一瞬でひっくり返されるぞ。


スラドに書いた絵文字の話も含め、信じがたいのはわかります。あるいはそんなに一大事だとは思わないかもしれない。それは、パソコンに近い人とか、モバイルでしか商売してなくPC向けWebサービスに無縁な人には、とくにそうみえるかもしれない。わたくしも、ちょっとユニコード化の話はにわかには信じがたかった。
でも、日本のモバイル業界はもはや無視できないだけの大きさの市場規模に(つまり、異常に無防備で、異常にうまみがある獲物に)ふくれあがっているということなのでしょう。
そして、くりかえしますがそれはあまりにも無防備なのです。

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