だまんです。

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純粋な情報

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唐突ですが、前に工学から物理学に行った友達と、呑みながら「『純粋な情報』はあるか」という話をしたのを思い出した。「純粋な」というのは、情報をメディアから切り離して考えられるということ。
そうすると「光」と非常に似ているというはなしになったんだけど。


そもそもがちょっといかがわしい発端だった。池田晶子の著書で「死体を解剖しても、『死』は取り出せない」、だから「死」というものはない、というようなことを読んで、それに違和感があったのだ。つめが甘すぎる。それをいったら「生」だってそうだろうと。
いや、たしかに「死」というのは相対的な概念であって、定義が微妙なものではあるんだろうけど。
ただ「物体ではない」というだけで、無視できるものではないということだ。
「生きている」と認識される「状態」はそれぞれ現実にある。生きているという状態は、人間に限って言えば人体というメディア上に表現された情報だと考えられる。
にもかかわらず情報という概念を無視してそういうことをいうから、なにか変な結論になるではないか、と反論したかった。で、まあ、個人的にはそれはそれで片付けたつもりだったのですが。
ただ、これは「物ではないが、ある」ことの説明にはなるけど、「取り出せない」ということは検証されてないとふと思った。仮に、再現可能かどうかは無視して、コピーを取れるか、というと、取れないとは言いきれない。
では、もし人体から単独で取り出せる非物質である「魂」は、存在しうるか。それで思いついたのが「純粋情報」という言い方だった。


で、長々と飲み屋で話し込んだのですが。この「純粋情報」があると仮定してみると、質量はないが、観測者に影響を与えられる(エネルギーは定義できる)というものだと考えると、「光」そのものと非常に似ている。というのがたしか、一応の結論みたいな感じだったな、と。
だからどうしたといいましても、どうもこうもないんだけどさ…。

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