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メランコリーのちディスチミア。この先の出口は

「ディスチミア」とググってみるとメランコリーとの比較表がいくつかでてくる。多くの場合「うつの文脈からの離脱が困難」みたいな予後の悪さについての記述がある。だから「そもそも、うつだと告知してはだめ」みたいなちょっと極端な文章も。

ちなみに、自己判断ですが、おれはかなり完璧なディスチミアのようです。
「ディスチミアの人は、うつについてよくネットで調べてる」とか。おれのことですね。


「うつの文脈からの離脱」というのは、要は「うつ」であると思うことで甘えることができるという状況から抜け出せなくなるからだと思う。際限ない甘えん坊だから。あるいは依存症というか。「うつ」であることでなにかの利益があると感じてしまうのだ。(実際にはトータルの収支がプラスになるわけがないのに。プラスになるならだれも治そうと思わないでしょ。)

もちろん「計画的にサボる」ような環境を整えたり、甘えるにしてもどのぐらいの期間、どのぐらいの重さで、とか明確に甘えるのはいいのだけど。
つまり自己責任で決断した末の「甘え」は必要なことだと思うけれど、そうではなく、ずるずる雪だるま式に借金を増やすようなやり方はよくないというだけです。


でも、とにかくふてくされた気分になっちゃって、自分でもどうしようもないとき。

これは、おれ個人の経験の話なので、おれ以外が以下の行動をしてもいいことがあるとは思えないし、とくに純粋なメランコリーな人には効かないばかりか悪化するかもしれないし。いずれにせよ単なるエッセイとして読んでください。

「仕事なんかどーせ」みたいな。破壊衝動みたいなのがでてきたとき。そういうときに最近やってみるのは、

  • 1日サボってひまにする。「絶対つまんないことをする!」と決断する。
  • あんまり強い刺激や楽しさは避ける。あくまでも、くだらねー時間つぶしをする。
  • そのまえに「やんないと不利益があるのに、めんどくせー」ことの(頭の中でもいいけど)リストをつくる。
  • そうすると、あまりにも刺激がなくて面白くないので「なんてばかばかしい時間の使い方してるんだろう」って気になる。でも、あえてその日はやらないでじらす。そうすると「ああ!うつ状態ってほんと効率が悪い!」となって「うつであることがいい」という錯覚からちょっと抜け出せる。気がする。

そのあと、例が非常に個人的で申し訳ないけど、あさのあつこさんの『ほたる館物語』とか、佐藤多佳子さんの『黄色い目の魚』とか、ちょっと児童文学or青春風味の、無力で純粋でただただ生きようとする人たちのエネルギッシュな物語を読んだりすると、ブースターになってくれたりする。こともあるかもしれない。タイミングを間違えるとみじめになって逆効果だけど。


おれの場合、入口はオーバーワークによるメランコリーっぽいのに、一旦うつモードに入ると突然ディスチミアっぽく、ふてくされた甘ったれ野郎(生ゴミ)になる。だからその「甘さ」が錯覚なんだと自覚するとちょっとまともにもどるのです。というか最悪、悪化は止まる。


今日思いついたんだけど。

メランコリー系の人にとっては、やっぱり「うつ病=悪いもの」で、うつから離れたいというモチベーションがあるんだと思う。強すぎると焦りにつながって悪循環をおこす危険性があるけど。「できれば治りたい」というのは、たぶん方向は間違ってない。その意識の強さ=焦りを極力抑えることが、結果的にいい効果を生むということさえ実感できればいいのだから。

その逆で「うつ病=サボるいいわけにできる」みたいな方向よりは、まだ離脱しやすい気がするんだ。だってこっちは結局治りたくないんだから。虫歯になると知っててあえて歯をみがかないようなもの。


ああ、ってほんとどうでもいいことばっかり書いてるなおれ。こんなことしてる暇があったら、せめてさっさと寝て、生活リズムぐらい自分で管理できる人間になるべきなんですよね…。

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