プログラマーになりたい。

プログラミングや写真や本や読書会のことや、日常のこと。

図書館で出会った本たち

※この記事は、はてブロの今週のお題「人生に影響を与えた1冊」について書いたものです。

 学生時代、比較的たくさんの本を読む生活をしていたので、あまり「この1冊」というのはないのだけれど、いくつか浮かんだ中で、僕の基本的な考え方の癖に一番影響を与えたという基準で1冊を選んだ。
 宗田理の『ぼくらの七日間戦争』だ。
 元祖ラノベのような感じで、小学生から高校生くらいのファンが多かったようだ。大抵どこの図書館に行ってもあった。
 僕は小学校高学年のころに読んで、体制を疑うくせがついた。権力を持つ人々、主流派の人々の言うことを常に疑うようなくせだ。
 今はさすがに主人公たちほどナイーブな思想は持ってないけど、それでもなんとなくマッチョな思想になじめないあたり、いまだに影響下から抜け出せていない。

ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)

ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)

 時代は80年代半ばごろ、教師に管理されることが嫌になった中学生たちが、近所の廃工場をジャックして教師たちに戦いをしかける。ある種の独立戦争だ。
 果たしていまの子供たちがこれを読んで共感できるのかは正直俺にはわからないが、90年代前半、僕が小学生のときはまだ携帯もなく、ぎりぎり戦前生まれの先生もそれなりに残っていて、結構共感できたのだ。
 ただ、今の時代、この本にうっかり共感してしまうと、結構肩身がせまい思いをするだろう。力の強い者の言うことを素直に聞けなくなるからだ。読むなら覚悟してほしい。もしはまってしまったら、あきらめるしかない。

 *

 ついでに選ぼうか悩んだ他の候補も載せておきたい。すべて高専入学以降に読んだ本だ(中学時代はプログラミング関係以外あんまり本を読まなかったので紹介できるものはない)。

夏のロケット (文春文庫)

夏のロケット (文春文庫)

カレーライフ (集英社文庫)

カレーライフ (集英社文庫)

風に桜の舞う道で (新潮文庫)

風に桜の舞う道で (新潮文庫)

 ジャンルとか方向性に、ぜんぜん脈絡がなくて申し訳ないんだけど、高校生くらいの年齢で読んだ本は、何であれ人生に強い影響を与えるのだ(だから、読んでしまったからには、挙げるしかないのだ)。

 それから、ちょっと専門的すぎて一般向けではない本だと、結城浩の本には強く影響を受けた。一般向けじゃないという理由ではじいたが、もしかすると直接的な影響という意味では一番かもしれない。
 実は、僕はこの頃ちょっとプログラミングから離れ気味だったのだが、Javaという革新的な言語と、オブジェクト指向に触れたことでプログラミング熱が復活したのだ。いまだにプログラミングを続けているのは、たぶんこの本と父のせいである。実はこの2冊は父にもらったのだ。父はプログラミングをしないのだが、ある種の哲学書や物理学のブルーバックスのように読んだようだ。

Java言語プログラミングレッスン 第3版(上)

Java言語プログラミングレッスン 第3版(上)

 同じ著者でもう一冊。人生を変えたと言うほどではないが、今の社会の中で暗号化技術の占める位置は大きい。その重要度はますます増している。そういった状況にとまどわずに対応できているのは、この本のおかげだと思うので、併せて紹介する。
暗号技術入門 第3版 秘密の国のアリス

暗号技術入門 第3版 秘密の国のアリス

 最後に、このころ読んでおきたかった本として、池田晶子の『14歳からの哲学 考えるための教科書』を紹介しておく。

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 まあ、実際のところ、しょっちゅう図書館に行って面白そうな棚の前をうろうろしていると、出会うべき本はいやでも目に入ってくるものだ。だからこんな記事なんてなくてもいいんだけど、俺自身がそのうち忘れてしまいそうなので書き留めておくことにした。もし万が一誰かの参考になれば幸いだ。

ハケンアニメ=覇権アニメ

ハケンアニメ!

ハケンアニメ!

僕、「覇権」という言葉はまったく知らなかったんだけど、この小説は面白かった。

今季は偶然なんだろうけど、アニメの制作現場を描いたアニメ『SHIROBAKO』もあって、あっちもこっちも面白くて、ホクホクしている。
なんか、こういう作品が出てくるような素地ができてきたということなのだろうと思った。

最近のアニメは2000年代のアニメと比べて、ハイビジョンの画角にも慣れたみたいだし、線のぎこちない感じもとれた感じがあって、とても画面がきれいになったと思う(まあ現場はいろいろあるんだろうけど)。

90年代とかと比べても、ラジオ、イベント、ニコ生など、声優やスタッフの露出機会が増えていて、視聴者の感じるキャストとの心理的距離は近いと思う。また、アニメ自体の対象年齢も上がっていて、そういう周辺のイベントやコンテンツへのアクセスも良くなっていると思う。

そういうわけで、なんとなくこういう風に両者の公開タイミングが近かったのかな、と勝手に納得している。

マリア様がみてる(小説)を読んだ。

マリア様がみてる (コバルト文庫)

マリア様がみてる (コバルト文庫)

ふと気が向いて、「マリア様がみてる」を読んだ。短編集もあわせて全37巻。
10日くらいかかった。こういう素性の(コバルト文庫なんです)小説なせいか、わりとさくさく読めた。

先にアニメを観たので、「あ、ちゃんとカトリックってはじめに書いてあるんだな」とか「祐巳もやっぱり《ふつうのお嬢さま》なんだなあ」とか、いろいろ思ったこととかあったんだけど、いまはメモみるのが面倒くさいので、このくらいにしておく。そのうち気が向いたら載せるかもしれない。

最初は祐巳の思い込みとかでドタバタするというお話の作り方で、ちょっと苦手だなあ、つらいなあと思ったけど、瞳子登場のエピソードが片付いたあたりからだろうか、だんだん落ち着いた雰囲気になってきて個人的には後半のが好きだ。

一進一退

 眠い。眠いといつも以上に本が読めなくてとてもそわそわするので、ひまつぶしにブログを更新することにした。

 これは年末年始に書こうと思って放置していた記事である。
 いままでもTwitterとかで「本が読めない、本が読めない」ってわめいていたことがあるけど、どれくらい最近の俺が本を読めないのか、定量的に示したことはなかったと思うので、ここで去年の各月の読書冊数のグラフを載せてみようと思う。年末年始に読書メーターの期間限定の企画で提供されたものである。
 グラフによると去年の6月くらいからガクガクッと読んだ数が減っているのがわかる。

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 完全にスランプである。いままでこんなことはなかったので、正直何が起きているのかわからなくてとても困惑した。ここ数年、躁鬱(双極II型)で精神科にかかっているが、主訴はこれである(マジで)。

 ここ13年間くらい、1日/冊以上のペースで本を読むのが習慣というか強迫観念みたいにになってしまっていたので、何ヶ月も続けて月30冊(≒1日1冊)のラインを割っている状態が続くのは僕にとっては非常事態なのだ。生命活動が止まっているのに等しい。8月の4冊なんていうのはもう、本当にどうやって生きていたのか不思議である。そもそも、1月〜7月の時点で30冊ラインのそばをふらふらしていて、これだけでも十分不調だったのである(2007年以来の平均は月46冊)。

 もしかしてもう一生分の「読書力」を使い果たしたのではないかと怖くなったりした。本を読む以外に人生の過ごし方を知らないので、いまでも空き時間が怖い。

 さすがにただのスランプだったみたいで、ここのところ徐々に読める本が増えているような気がしてはいるが。ここ数日はついに読書冊数が4冊/日くらいまで増えて、もしかして集中力が復活してきたかと思ったけど、それはただラノベ(「マリア様がみてる」)しか読んでないせいだったみたい。図書館の予約のタイミングを間違えて、きょうは手許に「マリみて」がないんだけど、そうしたらやっぱり普通の小説何か抵抗があって全然読めなかった。
 一進一退である。

文体と東京の近代

東京 下町山の手 1867-1923 (講談社学術文庫) 失われた近代を求めてII 自然主義と呼ばれたもの達 (失われた近代を求めて 2) 失われた近代を求めてIII 明治二十年代の作家達 (失われた近代を求めて 3) 失われた近代を求めてI 言文一致体の誕生 (失われた近代を求めて 1)

エドワード・サイデンステッカーの『東京 下町山の手 1867-1923 (講談社学術文庫)』の後に、橋本治の「失われた近代を求めて」シリーズを読んだ。
一緒に読むには結構いい組み合わせかもしれない。

両者をやや強引に結びつければ、サイデンステッカーは「東京」がどう成立していったかを文化や建築などの側面から描いていて、もう一方の橋本治は似たような分析を、文体の側面から近代文学に対して行っている(と言えるかもしれない)。
両者が扱うものはほとんど重ならないけど、扱う時代はほとんど同じ。なんとなく相補的だった。

ちなみに、この二者では、ザイデンステッカーの方が扱う範囲が広く概観的であるし、日常に近い事柄を扱っていて馴染みやすい気もするから、僕はザイデンステッカーの方を先に読むことをを勧めます。

鈴木健『究極の会議』、再読

究極の会議

究極の会議

 

  こないだのBBQの帰りに、この本を、6年前に読んだうろ覚えの知識で知人に紹介してしまった。実は紹介といっても、書名すら思い出せなかったのだ。それでちょっと気になっていたので、探して再読した。

 ついこのあいだまで、会議術の本なんてこれしか読んだことがなかった(こないだ小学生向けの会議術の本を読んだ)。なんか、これを知ってしまうと他の本が少し色あせてしまって、その後他の本を手にとる気になれなかったのだ。

 
 この本のテーマは
「会議はその場で議事録を作るためにある」
ということだ。それ以外にない。このわかりやすさにはしびれた。
 しかも、この1文は序文に書いてあるのだ。いくら実用書だからといって、ふつうはもうちょっともったいぶると思うんだよね。このストレートな感じもいいと思った。
 
 このやり方には向かない会議もあるとしつつも、そっちについては目もくれず、ひたすらこれだけで1冊書いてしまっている。
 一応、
  • 議事録取るときは意見、結論、ToDoをわけるとか、
  • ToDoには担当者と確認者と期限を絶対つけるとか、
  • トピックごとにはじめに時間を決めておくとか
15個の注意点が、あるにはあるんだけど、基本の「議事録を作るため」という姿勢はまったくぶれないのがすごい。
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梅澤実 監修『理解が深まるディスカッション (話す力・聞く力がつく発表レッスン3)』

  梅澤実監修『理解が深まるディスカッション (話す力・聞く力がつく発表レッスン3)』(学研)という本を読んだ。

 地域の図書館には、「KJ法」がキーワードとして設定されている本が、なんとこれしかなかったのである。これ対象年齢は小3~中学生で、児童書なんですよ、まったく。時代だなあ……。で、ひさしぶりに児童書のコーナーに入りました。
 
 内容ですが、絵本みたいな装丁のくせに結構詰まってて、意外と読むのに時間がかかりました。各手法ごとにいちいち議論の具体例が示されているのです。
 また「KJ法」といっしょに「マッピング」というのも紹介されてて、こっちはなんかマインドマップのようなそうでもないようなものです。「KJ法」とともに、よくあるようにブレストのまとめ方みたいな感じでしたが、結構ちゃんと説明してありました。
 僕なんか、もう元祖の本は読まないでもいいかなあ……とか思ったくらい。特定の状況でのマニュアルとして考えると、元祖の本を読むより短くまとまってていいと思うんだよね。
 
 そういえば、これは偶然だけど、先日の読書会で急にディベートになったとき、それでもなんとかのりきれたのは、その前にたまたまこの本の「ディベート」の項を読んであったからかもしれない。シンクロニシティ(?)。ほんと、捨てるところのない本です。
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